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Blues & Soul Records誌 100号

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Blues & Soul Records誌 100号
こちらに日暮さんの「ロバート・ジョンスンを読む」の読後感想を僕が書きましたので読んでみてください。
ロバート・ジョンスンは生誕100年、そしてこのBlues & Soul Records誌は100号。何かの因縁か。もちろん、特集は「あなたの知らないロバート・ジョンスン」と題するもの。ジョンスンに入門するのによいと思います。CDも付録でついてます。

「ロバート・ジョンスンを読む」(日暮泰文著 P-Vine Books ¥3800)

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「ロバート・ジョンスンを読む」(日暮泰文著 P-Vine Books ¥3800)
ロバート・ジョンソンが生まれて100年ということで、アメリカでは生誕100年に関したイベントなども行われているようだ。日本ではこれといった動きもないようだが、ここにロバート・ジョンソンに関する素晴らしい本が出版された。
P-Vine Recordsの創設者でもあり、音楽評論とくに黒人音楽に関しては深い研究と格別の見識のある日暮泰文さんが「ロバート・ジョンソンを読む」という素晴らしい本を上梓された。
この本の書評という偉そうなものではないが、書感といったものを私がBlues & Soul Records誌(ブルース・インター・アクションズ刊)の最新100号に書いたので、そちらを読んでいただきたい。
ロバート・ジョンソンはブルーズ史上最も重要なブルーズマンのひとりで、ブルーズを聞き始めた人は必ずジョンソンのブルーズを耳にすることになる。ローリング・ストーンズもクラプトンも・・・いや、いまのロック・ミュージックの根底にはずっとジョンソンのブルーズが眠っている。そして、いまもジョンソンのブルーズはブルーズのスタンダードとして歌い継がれている。色褪せない永遠の音楽だ。
僕のこのHPを訪ねてくれる人たちには、一度ゆっくりとロバート・ジョンソンを聞いてもらいたいと思う。
遥か1930年代の録音であり、彼ひとりの弾き語りであり、その音触りに慣れるのに少し時間がかかるかも知れないが何年か経ってから聴いてその素晴らしさに気づいた友達もいる。
たった29曲を録音に残し、27才という若さで毒殺され、悪魔に魂を売り渡してギターが上手くなったという謎の多いロバート・ジョンソン。
そのジョンソンを日暮さんは徹底的に解明しょうと長年に渡って調べあげ、とうとう一冊の素晴らしい本にされた。
世界にはロバート・ジョンソンの研究家といわれる人たちが何人もいて、彼に関する本も過去何冊か出されてきたが、これほどジョンソンの実像に迫ったものはなかった。
ロバート・ジョンソンを聴きながら、是非この「ロバート・ジョンソンを読む」を読んでみてください。

いにしえのブルーズはいかがでしようか

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先日、渋谷のタワーレコードのブルーズ売り場の階に降りたところ、ブルーズ・コーナーに若い女性の人だかりが・・・いや中年のおばはんも。なんだなんだ・・日頃閑散としているブルーズ・コーナーにいったい何が・・と思って近づいてみると、何の事はないブルーズコーナーの隣りがKポップ・コーナーに様変わりしていたのだった。そう言えば1階でもKポップのイベントみたいなのをやっていた。いまやAKBとKポップか・・・・なんて思いながら、ブルース・コーナーで1930年代のブルーズのアルバムを手に取る私。隣り同士のコーナーなのにその音楽の隔たりはあまりに大きい・・・なんてどうでもいい、まぁKポップなんてどうでもいいんだけど。
去年から再び戦前ブルースにハマりアナログ盤も含めせっせと入手しているのだが、P-Vineレコードが戦前ブルーズのコレクションをどど〜んとリリースしてきたので、調子に乗って買ってしまっている。当然だがいにしえの録音ゆえに、ノイズは入っているし、録音も良くない。また、それぞれのブルーズマンの曲にたくさんのバリエーションがあるわけでもなく、歌詞は違うがどちらかと言えばみんな自分のひとつのスタイルがあるだけだ。中にはテンポとキーもほとんど同じというバリエーションとは無縁の人もいる。でも、ぬた〜っとした昼下がりなんかにいいんだなぁ、いにしえのブルーズ。
中にバーベキュー焼いて働きながら歌ってたのでバーベキュー・ボブという名前のブルーズマンがいる。牛丼屋でバイトしてたら牛丼太郎とか。オレはThe Devil's Son-In-Law(悪魔の養子)だと名乗ったピーティー・ウィーストローっていう人もいるが、顔みたら結構人の良さそうな人だ。ブルーズマンというより旅回りの芸人さんだったというジム・ジャクソンは音楽にバリエーションがある。でも、写真は恰幅のいいお寺のお坊さんがギター弾いてるみたいだ。そして、メランコリーなリロイ・カーのブルーズ・・・歌詞がいい。いつも、泣ける。
20-30年代のブルーズに浸りながら今日も日が暮れて行く。"In The Evening,Mama When The Sun Goes Down・・・・Ain't It Lonesome When Your Lover's Not Around.When The Sun Goes Down・・・・・・・"Leroy Carr

84.ブルースギター大名鑑

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ブルースギター大名鑑(P-Vine Books/blues interactions,inc.刊 ¥3800  原題The Blues Guitar By Rick Batey)
あのギターがどうの、このギターどうのと言うほど腕前でもない私ですが、心の中で密かに欲しいと思っているギターがあと3本ほどあります。しかし、いまあるギターもすべて弾きこなせてもいないのに、また新たなギターなどとおこがましい気もするわけです。
また、福山の和田さんの素晴らしいギター・コレクションを雑誌で見ると羨ましい気持ちになりますが、人間には分相応ということがあるのだと自分に言い聞かせております。和田さんからはコレクションがある「ギターの館」(私が勝手に名付けているのですが)へ来ませんかと何度かお誘いを受けているのですが、以前行ったブッチャー(故浅野祥之)があまりのコレクションのスゴさに半分感動、半分むかつきで帰ってきたことを知っているのでまだおじゃましていません。
和田さんはクラプトン・フリークで現在のコレクションに至っているわけですが、自分の憧れのミュージシャンやギタリストが持っているギターを欲しいと思う気持ちは私にもあるのです。だから、楽器屋さんに行った時はその気持ちを強く自制しているわけです。
そんな折、ブルース・ギター馬鹿にはたまらない本が出版されました。題して「ブルースギター大名鑑」。
この本を買ってから日々ため息まじりに読んで、食い入るように写真をみているのですが、あと3本ほど欲しいと言っていたギターがすでに倍の6本ほどに増えました。
素晴らしい本なのですが、私のような者にはなにか欲求不満を募らせるだけで心に悪いような気がしないでもないのです。でもどうしても一日一回はこの本を手にとってしまうのです。
いろんなブルーズマンが愛用したギターを写真、解説入りで紹介しているこの本ですが、アコースティック・ギターからドブロ・ギター、エレキのギブソン、フェンダーはもちろんケイ、ハーモニー、ステラと言ったちょっとレアなものまで登場してきます。
どのページを見てもとにかくため息しかないのですが、改めてギターという楽器の美しさをつよく感じます。
できればすべてのギターの本物を触ってちょっと弾かせてもらいたいところですが、たぶんそれをしたら欲求不満が頂点に達して人格が破壊されるような気がします。こうして本で見ているくらいがいいのかも知れません。でも、欲しいなぁ・・・・・・・。

1920年代に・・・ランブリン・トーマスとオスカー"バディ"ウッズ

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Ranblin' Thomas & Oscar"Buddy" Woods/Texas Knife Slide Guitar Blues(P-Vine Records PCD-5724)
このアルバムはランブリン・トーマスとオスカー"バディ"ウッズという1930年代を中心にほぼ同時代にテキサスから南部一帯で活躍していたふたりのブルーズマンのコンピレーション。ふたりが一緒に演奏しているのではなく、半分ランブリン・トーマスあとの半分がオスカー・ウッズという収録になっている。

まず「ランブリン・トーマス」・・・・・「放浪するトーマス」か・・名前からしていい。街から街へギター持って旅を続けるこういうカントリー・ブルーズマンに男は憧れる。
このアルバムには1928年と32年のトーマスの録音が収録されている。
1928年といえば昭和3年。昭和3年と言えば日本は張作霖事件を画策してより中国への侵略を強く始めた頃。その同じ頃にアメリカ南部をギター持って放浪していた黒人を思い浮かべるとちょっと変な感じがする。
1928年、アメリカは狂騒の20年代<ローリング・トウェンティーズ(Roaring Twenties)>と言われた最後の年。翌29年には大きな落とし穴のような大恐慌がやってくるのだが、それまでの20年代はアメリカの経済が発展しいろんな技術が革新されてテレビができたのもこの頃、ラジオは完全に大衆のものとなり車もこの時代に大衆化する。ニューヨークでは「ハーレム・ルネッサンス」と呼ばれる黒人による文化運動もあったが、南部を転々と放浪していたこのランブリン・トーマスにはまるで関係なかっただろう。彼はどんな風景を見ながらどんな想いで彷徨いつづけていたのか。
生まれはルイジアナだが若い頃からルイジアナ、テキサスあたりを放浪してテキサス・ブルーズの偉人ブラインド・レモン・ジェファーソンとも演奏をしたとか。歌にはそのレモンの影響がはっきり伺える。彼のギターは普通の奏法とナイフの背でスライド・ギターを弾くナイフスライド奏法と両方ある。決して歌もギターもうまいというわけではないが、とてもディープな味わいのあるブルーズを残している。チリチリ・・・とノイズが覆う中、繊細さや豪放さもまじえてプリミティヴな良さが残るランブリン・トーマスのブルーズ。
「とっても寂しいよ、どうしたらいいのかわからないくらい寂しいよ。もし、いい女がいなかったらあんたも寂しいだろうよ・・」(So Lonesome )
押し込めた哀しさが朴訥に歌われている。南部の田舎の泥と石まみれの道をひとり歩いているような映像が脳裏に映る。

「オスカー・ウッズ」はランブリン・トーマスに比べると技巧的にはかなり上手なブルーズマンで曲も多彩だ。ギターのリズムが素晴らしいことにまず気づく。とくにラグ・タイム調の曲で聞かせるグルーヴ感にあふれるギターは実に見事だ。思わず踊りたくなる。しかもその見事なリズムがスライド・ギターの小技も混ぜての仕業だけに驚くばかり。曲も整合性があり緻密に作り込まれている感じがある。都会的な洗練さも持ち合わせていて名人ロニー・ジョンソンを彷彿とさせる曲もあり、本当ならもっと有名になっていてもよさそうなものだが、ずっとルイジアナ、テキサスあたりでやっていたから知られなかったのかも・・・。女性歌手のバッキングなどもやっていたほどだからその上手さを認められて、かなりの人気ミュージシャンだったのだろう。ちょっと小洒落たバーで踊るフラッパーな女性たちに囲まれながらギターを弾くオスカー・ウッズが目に浮かぶ。

ブルーズは同じような音楽形式を取りながらも実に様々なスタイルが作られた音楽だが、このアルバムそれを表している。同じような地域で同じ時代で同じスライド・ギター奏法を使いながらも出来上がっているものはまるで違う。ブルーズという音楽がもつ「自由さ」がその人の「自由さ」をそれぞれに表現している。だからブルーズは面白い。飽きる事がない。

82-「Blues&Soul Carnival」25周年記念コンサート 日比谷野外音楽堂 May 30,2010

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本当にいいコンサートでした。歌っててやっぱり野音は気持ちいいと思いました。僕たち「blues.the-butcher」のプレイも「すごく良かったよ」といろんな方に言ってもらったが、シーナ&ロケッツもガッツン・ガッツンのロックでカッコ良かったし、久しぶりに会ったコーリー・ハリスもやっぱりいい声してました。
そして、ソロモン・バークの素晴らしかったこと!!「オレは昔のシンガーじゃないんだ」とばかりに1曲目から新曲"Nothing's Impossible"ですよ。もちろん過去の"Proud Mary"とか"Cry To Me""Everybody Needs Somebody To Love"も歌ったし、最新アルバムと2008年の"Like A Fire"あたりの曲も入れ新旧とりまぜの圧巻のステージだった。サム・クックの"A Change's Gonna Come"を歌った時には泣いた友達のおっさんがいました。
なんか当たり前だけど「本物の歌」だったし、「本物のソウル」だったし、心から暖まるヒューマンなステージでした。
そして、夜が迫るにつれてスポットライトがくっきりとソロモンを映し出しそれがどんどん神々しく見えて「今日、本当にここにいてよかった」「ソロモンと同じステージに立ててよかった」「盟友鮎川誠率いるロケッツとこの同じコンサートに出演できてよかった」・・・・といろんな想いが頭を巡り、もうビールをどんどん飲んで一緒に歌って、踊って、「ソロモ~ン」と叫んでないと涙腺がやばくなってしまう状態でした。
そして、コンサート終了後、バック・ステージにいるスタッフやミュージシャン、友達と興奮して喋っていると、知人が「ソロモンに会う?」「えっ?会えるの?」「うん、ちょっと待ってて」 ソロモン・サイドのガードが固いと聞いていたので会うのは無理だと思っていたのが・・・。
しばらくするとソロモンの楽屋のドアが開いて「どうぞ」と中に通された。そして、その知人がソロモンに「今日、ソロモンが出る前に歌ってくれたバンドのシンガーだ」と紹介してくれると大きな手が伸びてきて私の手は完全に包まれてしまった。柔らかい手でした。
あまりに急なことでもう舞い上がってしまい。「すすすすす・・素晴らしいショウでした」「「わ、わ、わたし、ずっとあなたのファンです」というのが精一杯。「あのぉ、あなたと写真撮っていいですか」と言うと「もちろん」とにっこり笑顔。それで1枚撮るとソロモンが「君の手を私の頭に載せろ」と言うので「いや、それは・・できません」「いいから載せろ」というので手を載せるとカシャ!と一枚。すると今度はニヤニヤ笑って「君の長い髪を私の頭に載せろ」「ええっ?!いくらなんでもそれはできません」。40年近くずっと尊敬して聴いてきたキング・ソロモンの頭の上に自分の髪を載せるなんて・・・そんなオフザケできるわけないでしょう。するとソロモンが「キャンディ!」と娘さんを呼んで無理矢理私の髪をソロモンのハゲ頭(本当に失礼)に載せてしまいました。撮ってもらいました奇蹟の一枚。しかも撮ってくれたのは写真家菅原一剛さん。このオフザケに楽屋にいた人たちはみんな大笑い。優しくて、面白くて、お茶目で・・・最高の人でした。でも、彼の素晴らしい人間性はステージやアルバムの歌を聴けばすぐに感じます。「ありがとうございました」ともう一度握手をした時に「また、日本に来てください」というと大きな目で「もちろん、来るよ」と言ってくれました。
最後はロケッツのメンバー、ブルーズ・ザ・ブッチャーのメンバー、ファン、スタッフなどたくさんの人たちの「ソロモン!ソロモン!」というコールと拍手の中、車に乗り込み手を振ってソロモン・バークは帰って行きました。
私は家に戻ってからも虚脱状態で眠れなくて、普段は滅多に家では飲まないのにこの夜は焼酎をグビグビ・・・。何度も「よかったなぁ」と言いながら酩酊して眠りにつきました。

「Blues&Soul Carnival」にはWestRoad BluesBandで出て以来何度も出演させてもらっているが、今度のソロモンを迎えた「Blues&Soul Carnival」の25周年記念コンサートはしっかりと心に残るものとなりました。
そして、これから音楽を続けて行く自分の心の支えとなり励みにもなりました。
来てくださったみなさんもたぶん私と同じ気持ちだと思います。そして、いつかまた「あのコンサートよかったよね」ときっとみなさんも言うと思います。
来てくださったみなさん、本当にありがとう!みなさんの声援はステージの私たちにすごく届きました。
スタッフのみなさん、主催のM&Iのみなさん、お疲れさまでした。
そして、キング・ソロモンありがとう!あなたは最高です!

81-"Nothing's Impossible"-Solomon Burke

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☆ソロモン・バークとウィリー・ミッチェルの時代を超えたあまりにもソウルフルなニュー・アルバム"Nothing's Impossible"
もうすぐ来日するソロモン・バークの最新作"Nothing's Impossible"がリリースされた。
プロデュースは1月に亡くなったメンフィス・ソウルの名プロデューサー、ウィリー・ミッチェルだ。
60年代からウィリー・ミッチェルが手がけたアル・グリーンはじめ、O.V.ライト、アン・ピーブルズ、オーティス・クレイ、シル・ジョンソンなどの素晴らしいアルバムは多くの人たちに愛聴され、
ソウルの歴史に輝かしく残っている。
そのウィリーがソロモンと組んで出来たこのアルバムが惜しくも彼の最後のプロデュース作品、遺作となってしまった。
1曲目の"Oh What A Feeling"が流れた途端に彼がハイ・レコードなどで築き上げた独特のバックビートと豊潤で暖かい音が混じり合った懐かしいサウンドの中に私は包まれてしまった。
これみよがしなところがなく、余分なものもなく、じわじわと太いグルーヴで迫ってくるメンフィス・ソウル・サウンドにのってソロモンの包容力のある歌声が始まる。
ウィリーとソロモンが初めてアルバムを作ったとはとても思えないほど歌声とサウンドがうまく混じり合っている。そして、やたら聴く者の胸に沁みる。
そして、愛する人への溢れる想いを"Oh What A Feeling"(ああ、こんな素晴らしい気持ち)と歌うソロモンのソウルがどんどんと大きくなって波のように迫ってくる。
懐かしいサウンドとグルーヴだが古い感じはまったくしない。それはウィリー・ミッチェルとソロモン・バークが現役としてずっと活躍してきたからだろう。生きている音と歌だ。

いまとなっては黒人音楽が多岐に広がってしまいソウルというカテゴリーは主流ではなくなってしまった。
でも、いまでもソウルという場所に新しいシンガーは登場してくるし、カムバックしてくる懐かしいシンガーもいる。しかし、その人たちに何か物足りないものを感じるのは「狙い」が見え透いてしまったり、サウンドの作りがあまりにも安手だったりして深さも広さもないからだ。そういう人たちのアルバムにはなぜか時代を超えていくような常に生き生きした感じがない。
つまりオーティス・レディングのスケールの大きさやO.V.ライトの深さを持ち合わせたソウル・シンガーはこのソロモンを含めて数えるほどしかいなくなったのだ。
本当にSoulあふれるソロモンの歌声を彼のHPで聴いてみて欲しい→http://www.thekingsolomonburke.com/
HPを開いた途端に流れて来るその歌声にあなたの部屋にはソウルがいっぱいになるだろう。
どんな時代にもその人のすべてが生き生きとしたものであれば「古い」ものはなにもない。古くなるのはその人が生きているのに生き生きとしなくなった時だと私は思う。
アルバム・タイトル"Nothing's Impossible"の通り「できないことはなにもない」のだと思う。
そう思いながらウィリー・ミッチェルが何十年もアルバムをつくり続け、その最後を偉大なそして最後のソウル・シンガー、ソロモン・バークに託したのかと思うと胸が熱くなる。
このアルバムをゲットするためにレコード店へいますぐ走って欲しい。
そして、いよいよ今月30日は日比谷野音「JAPANBLUES&SOULCARNIVAL2010~25周年記念スペシャル~」にソロモン・バークがやってくる。同じステージに立つ我blues.the-butcher-590213は本当に光栄に思っている。全力を尽くしていいコンサートにしたい。
本当に多くの人たちにラスト・ソウルマンの素晴らしいソウル・ショーを是非体験してもらいたい!5月30日日比谷野音だ!

詳しくはhttp://www.mandicompany.co.jp/hp2010/live/js10/js10.html

80-Bob Dylan 来日公演 /2010.3.29 Zepp東京

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かってディランは「神」と呼ばれてました。

でも、ステージでMCもなく次から次へ歌い続けるディランは心から音楽を愛し、心から音楽を楽しみ、いつまでも音楽の中にいたいと願っている素敵なミュージシャンのひとりでした。
神ではありませんでした。
でも、彼が常人では考えられないくらい音楽への愛情をとんでもなく深く、広く持っていることを感じたライヴでした。
そして、この夜のライヴをいちばん楽しんだのは恐らくディランだったでしょう。

"Rainy Day Woman#12&35"で始まりました。"Everybody Must Get Stoned"とディランが歌うまでもなく私は彼の歌に最初から最後までStoneしてしまいました。1曲、1曲が本当にロックしてました。

後ろの方で聴いていた私にはディランの表情もステージの感じも何も見えませんでしたが、あの音の中にいるだけで充分幸せでした。

終わった後、一緒に行った人に「いいライヴでしたね」と心から言葉が出ました。

こういう音楽を好きでいてよかったと思った夜でもありました。

個人的ないろんな想いが、会場に流れるディランの声とバンドの音の狭間に浮かんでは消えました。

本編の最後"Forever Young"が胸に迫って、迫って、あふれそうになった時にディランはステージからさっといなくなりました。

多すぎず少なすぎず実に見事な匙加減でした。

誰かが超絶な技を見せつけるでもなく、それぞれは自分の役割を誠実に果たし、それがひとつの大きな音の塊になりディランの歌もそこにすっと混じり込んでいました。みんなが普通のことを普通にやりそれが普通ではない素晴らしい音とグルーヴを作っていました。

寒い春の夜、会場の外で待つこと約1時間。そして、すし詰めの会場の中で約2時間スタンディング。腰がつらかったことも忘れないでしょう。

大好きな"Just Like A Woman"が聴けなかったことが心残りです。

Tシャツ、ストラップ、そしてアルバム・ジャケットが包装紙になっている話題のディラン・チロル・チョコと三点購入。チョコを見ながら我がバンドでも何か菓子類を作るか・・・としばし考えました。例えば、コテツ君の顔が描かれている油で揚げた大判せんべい(コテセン)とか。沼澤君のドラムが描かれたどら焼き(ドラムが上手くなるドラドラ焼き)とか。中條君の好きなゴーヤを使ったゴーヤ・チップス(ナカジョニー・チップス)とか。しかし、ディランのチョコは意外だったなぁ。

79-Bobby Charles

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大好きなミュージシャン、ボビー・チャールズが1月14日に亡くなっていた。
海外のニュース・サイトを見ていたら『Louisiana songwriter Bobby Charles dies at 71』というタイトルを見つけた。
読んでみると糖尿病をかかえていた上に腎臓ガンの療養もしていたようだ。
長年の友人ドクター・ジョンもプロデュースに参加したアルバムがもうすぐリリースされる予定だったと書いてある。
私はいまでも時々彼が作った"Small Town Talk"を歌う。
優れたソングライターだった彼の歌をカバーしているミュージシャンは白人、黒人問わず本当に多い。
チェス・レコードで1950年代半ばにリリースした"See You Later, Alligator"が彼のデビューだったが、私が最初に好きになったのは何かのオムニバス・アルバムで聴いたクラレンス・ヘンリーの歌う"But I Do"だった。
彼女のことをたまらなく好きな気持ちを"I don't know why I love you but I do"と歌う歌詞とメロディがいまでも歩いている時や自転車に乗っている時に頭に浮かんでくることがある。

それがボビー・チャールズ作の曲だと知ったのは、ポール・バタフィールドのベター・デイズで知った"Small Town Talk"があまりにいい曲だったので誰が作ったのか調べているうちに"But I Do"も彼の曲だとわかったのだ。

それで彼のソロ・アルバムを探すようになった。
最初に買った72年のアルバム"Bobby Charles"に"Small Town Talk"が収録されていた。
95年の"Wish You Were Here Right Now"にはジョーコッカーやレイ・チャールズが歌った"The Jealous Kind"があった。深く愛し過ぎて嫉妬に苦しむ男の歌は切なかった。
アルバム"Secrets Of The Heart"も素晴らしい曲がたくさん入っている。
ファッツ・ドミノが歌った"Walking To New Orleans"や、マディ・ウォーターズもカバーした"Why Are People Like That"もいい。
日常から生まれて来る簡潔だが深い意味のある歌詞、さりげなく胸に残るメロディ。
孤独な男の気持ちが漂っている曲が多かったように思う。
偉大なアメリカン・ソングライターが逝ってしまった。
2010.1.19

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