My Home Page


img 現在
2010/03/24 (Wed) 2010.3.20 blues.the-butcher-590213 at JIROKICHI new!
  故塩次伸二から譲り受けたテレキャスターがあまりにいいので、ここしばらくずっと使っていたらフレットがかなり減ってしまいしばらくメンテナンスに出すことになった。
シェクターの今井さんにお願いしてフレットを削る「すりあわせ」というのをやっていただきギター全体の調整もしていただいた。
ライヴの前々日、戻ってきたギターと再会すると「おまえ、なんかきれいになったやん」という感じで、よく見るとマイクとブリッジのあたりもきれいにクリーニングされていた。病院と美容院の両方に行って帰ってきたみたいでえらいべっぴんさんになっていた。
今井さん、ありがとうございます。

そのきれいになったギターで気持ちよく興奮できたJIROKICHIのライヴだった。

常々思っていることだが、自分の体調から始まりギター、アンプ、PAの調子そしてお客さんの反応などライヴの善し悪しはいろんな要素に左右される。

余談だが、私の場合自分の酔い具合も重要なポイントで、この夜は暑かったのでハイボールにした。
久しぶりに飲んだハイボールはなんか懐かしくでもすっきりしていて気持ちよく「酔いゾーン」に入れた。
実は高校生の時、初めてひとりで飲んだウィスキーがハイボールだった(それ以前子供の頃から時々親父に日本酒など飲まされていたが・・)。何故ハイボールにしたのかよく憶えていない。たぶん酒の種類も知らないのにどこかで聴いてハイボールを頼むとかっこいいかなと思ったのだろう。
場所はジャズ喫茶でカウンターの中に小雪さんはいなかった。中にいたのは「ビリー・ホリディなんかおまえにはまだわからないだろうなぁ」とジャズ講釈をするウザいマスターだった。吸っていたタバコは缶ピーと呼ばれた両切りの缶入りピース。読んでいたのはサルトルとかボーヴォワールでおフランスかぶれだったが、本の中身は半分以下しか理解できてなかった。「私は暴力に対してひとつの方法しか持っていない。それは暴力だ」とかいうサルトルの言葉に「おお、かっこいい」なんて勝手にアホな解釈をしていた。
それで1時間も経たないうちに、「難しい本+飲めもしないウィスキー+ウザいマスター=悪酔い〜トイレに駆け込む」ということになっていた。
というのがハイボールの思い出だ。

この夜のライヴは、お客さんが素晴らしい反応をしてくれる+体調がいい+ハイボールがうまい+ギター、アンプ、PAの調子がいい・・・とすべて良く、とてもいいライヴになったと思う。
新しくやった"I'm Tore Down"もいい感じだったと思う。
前にも言ったように、私たちのHOMEであるJIROKICHIの月1のライヴではバンドとして常に新しいことにトライしょうと思っているので何か音が作られていく生現場を聴きたい、観たい方は是非毎回(!)JIROKICHIにお越しください。
それで今日は久しぶりに曲のセット・リスト公開です。
1st.Stage
1.Baby,Scratch My Back(inst)
2.I Don't Want No Woman
3.Someday After Awhile
4.Found Love(KOTEZ sings)
5.Everything Gonna Be Alright(KOTEZ sings)
6.I'm Tore Down
7.Good Bye Baby
8.Dust My Broom

2nd.Stage
1.That's All Right
2.Blow Wind Blow
3.Mary Had A Little Lamb
4.Te-Ni-Nee-Ni-Nu(KOTEZ sings)
5.Up The Line(KOTEZ sings)
6.Don't Throw Your Love On Me So Strong
7.Killing Floor
8.I Feel So Good

encore:1.Rollin'&Tumblin'
2.Love In Vain

では、また来月4/15にJIROKICHIでお会いしましょう。
2009/12/28 (Mon) 「2009年を振り返って・・・」
  今年は6月に『blues.the-butcher-590213』の新しい2ndアルバム"Mojo Boogie"をリリースできただけでなく、9月にはムッシュかまやつさんとのコラボ・アルバム"Rockin With Monsieur"のリリースと1年に二枚も発表できたことは本当に幸せでした。

『blues.the-butcher-590213』のライヴ活動はまず高円寺JIROKICHIでのマンスリーを新たな可能性を探すべく月1確実にやり続けてきました。また、70本ほどのツアー・ライヴをこなした他、ライジング・サンなどいくつかのフェスティバルに出演したことはバンドとしての体力を更につけることになったと思います。
そして、ムッシュ、LEYONA、近藤房之助、鮎川誠(シーナ&ロケッツ)のみなさんをバンドのゲストに迎えたことも自分たちの新たな刺激となりました。この場を借りてみなさんに感謝の気持ちを伝えます。ありがとうございました。

そして、私たちのライヴに来ていただいたすべてのみなさんに心から感謝します。
会社の仕事終わって急いで駆けつけてくれる人たち、雨の日にライヴハウスの開店を傘をさして待っていてくれる人たち、遠くから会場に足を運んでくれる人たち、楽しそうに踊りそして一緒に歌っている人たち、楽しくて酔っぱらってしまう人たち・・・・いろんな人たちがひとつの場所に集い、そしてみなさんの笑顔と揺れる体が私たちの演奏と一緒になった時に自分たちは正しいことをしていると、その時自分たちには力があるのだと私は確証を持てます。

私たちがライヴを行ったすべてのライヴハウス、会場のオーナー、スタッフのみなさん、大野さん、井村くんとP-Vine Records、菅原さんとストロベリー・ピクチャーズのみなさん、そして私たちのライヴを助けてくれているたくさんのみなさん、今年はありがとうございました。

来年はまだ行ったことのない鳥取や島根方面、そして九州のディープサウスへもライヴに向かいたいと思います。

では、みなさん良いお年をお迎えください。来年もよろしく!ライヴで会いましょう!

☆最後に2009年 胸に響いた音と映像と本(たぶん、まだ書き忘れているものもあると思いますが・・・・。順番は何も関係ありません。ただ思いついた順です)

1.B.B.King/Live In Africa '74(DVD P-Vine PVD-50)

2.Blind Blake/The Complete Recordings(P-Vine PCD-18539/43)

3.Mavis Spaples/Live;Hope At Hideout(Anti 86993-2)

4.Little Walter/The Complete Chess Masters 1950-1967(Hip-O Select B0012636-02)

5.Chuck Berry/You Never Can Tell-His Complete Chess Recordings 1960-1966(Hip-O Select B0012465-02)

6.The George Mitchell Collection (Fat Possum Records)

7.イシュマン・ブレイシー(Ishman Bracy)/キング・オブ・ザ・ブルーズ12(P-Vine PCD-2433)

8.Eddie Taylor with Louis Myers,Dave Myers And Odie Payne,Jr./Live In Japan 1977 Deluxe Edition(P-Vine PCD-28007/8)

9.The Beatles/MONO BOX(EMIミュージック・ジャパン TOCP-71041 )

10.Bob Dylan/Don't Look Back(DVD ソニー・ミュージック MHBP 95-6)

11.Sugar Pie Desanto/Go Go Power- The Complete Chess Singles 1961-1966(Kent CDKEND317)

12.レス・ポールの伝説(DVD ポニー・キャニオン PCBP-51703)

13.Bob Dylan/Together Through Life(ソニー SICP2237)

14.Tommy Johnson/Big Road Blues(P-Vine PCD-15032 )

15.Little Willie John/Heaven All Around Me The Later KING Sessions 1961-63

16.伝説のマックスウェル・ストリート〜シカゴ・ブルースの聖地に生きた人々(DVD &CD&Booklet P-Vine)

17.James Taylor/One Man Band(DVD Hear Music/Concord 7231453 )

18.Robert Wilkins/Prodigal Son(P-Vine PCD-15033)

19.ハウリン・ウルフ ブルースを生きた狼の一生(書籍)ジェイムズ・セグレスト/マーク・ホフマン 著 / 新井崇嗣 訳/P-Vine Books

20.ムッシュ!/ムッシュかまやつ(書籍)文春文庫

21.Dust My Broom/菅原一剛(写真集)Softbank Creative
2009/10/27 (Tue) 「誕生日のプレゼント」
  先日24日。誕生日だったが「誕生日おめでとう」と言われるのももう恥ずかしい年になってしまった。
元々、私の家では誕生日を祝う習慣がなく子供の頃も父母や兄から「誕生日おめでとう」と言われた記憶がない。
でも、母がチラシ寿司などを作ってくれていた記憶があるようなないような・・そんな感じだ。
もちろんケーキはなかった。プレゼントもなかった。自分から家族にプレゼントを贈ったこともなかった。
最近は年老いた母には花など贈ったりしているが、兄には今更・・・という感じで何もしない。
でも、子供の頃私の周りの友達で誕生日に特別なことをしてもらっている奴はあまりいなかったと思う。
学校で「オレ、今日誕生日なんだ」と言っても「へぇ、そうなんだ」で終わっていた。
金持ちのお上品な同級生の家では「お誕生日会」というのをやっていたが、小学4年生くらいからアウト・ローだった私にお誘いはなかった。
翌日「昨日のケーキおいしかったよね」と、お上品なお仲間たちが教室で話しているのを聞いて「ケーキ食いたい」とは思った。
でも、「お誕生日会」に呼んでもらえなくても悲しくもなんともなかった。もし、そこに行ったとしてもどういう風に振る舞えばいいか私はわからなかっただろうし、その子に持っていくプレゼントを買うこづかいもなかったからだ。
自分の誕生日を祝ってもらえなかったからと言って別に悲しくも淋しくもなかった。
私の子供の頃は大半がそうだったのだ。
クリスマスも酔っぱらった父がどこかのバーかナイトクラブでもらったバターケーキが崩れかけで目の前に現れるくらいだった。
もちろんクリスマス・プレゼンはない。
年に一回のイベントは正月だった。
新しい服を買ってもらったり、ごちそうが出てきたり、お年玉をもらったり・・最大のイベント、サプライズは正月だった。
だからいまも誕生日が身についていない。気恥ずかしいのだ。
しかし、若い頃からめちゃくちゃなことをやってきたのにここまで生きて来れたこの丈夫な体を作ってくれた両親には感謝だ。
誕生日は自分が祝ってもらう日ではなく、実は両親や周りの人たちに感謝する日なのかも知れない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんなことを考えながら新潟"Song Of Earth"のイベントに向かうために東京駅構内を急いで歩いていたら、いきなり制服警官ふたりが私の前に立ちふさがり「ちょっといいですか」ときたもんだ。
おう!久しぶりの職質だ。しかも東京駅だからすごくたくさん人が歩いている中での職質だ。
結構、こう見えても私は「職質慣れ」している。自慢ではないが過去何度も職質されている。
「職質顔」なのかも知れない。つまり人相が悪い?
ふたりの警官に「何でしょうか?」と明るい声で答える私。
「ちょっとバッグとか見せていただきたいのですが、人も多いのでちょっとあちらの隅っこの方へ来ていただけますか?」
「いや、ここでいいです。何も変なものありませんからここで見てください」
人のいないところで警官に変な小細工されるのはイヤなので職質はたくさん人がいるところの方がいい。
「これはギターですか?」とギター・ケースを指して警官は言う。
「そうですが、何に思えます?ライフルとかですか」
「あの・・バッグの中見せていただいていいですか?」
「はぁ・・・いいですよ。いいですけど何をお探しなんですか?ドラッグとか危険物とかですか?」
「まあ、いまいろいろ事件が起きているんで・・・・」
「私、やっぱり見てくれがおかしいんでしようか?変な奴に見えます?」
「そういうわけじゃないんですけどね。はははははっ」
「見えるでしょうね。黒ずくめでおっさんで長髪で顔色悪くて人相悪くてギターケース持ってて急ぎ足で・・・こいつは何か持ってるなって思ったんでしょ」
「いや、フツーの方も調べさせてもらっていますから・・」
「ほら、やっぱりフツーじゃないんでしょ私。見てくれが。やっぱ人間見てくれですよね」
「いや、そういうんじゃないんですけど・・・・これはなんですか?」と警官がやや緊張した声で私のピル・ケースをツマミ出した。
「それはですね。ひとつずつ説明しますとこれが胃薬、これが風邪薬かな、これが鎮痛剤。それからこれはアリナミンね」
「この黒いカプセルはなんですか?」
「それね(笑)。ドラッグ関係に見えるでしょ。でもそれはね、先日行ったすっぽん料理屋の女将がくれたすっぽんの甲羅を粉末にしたもので元気でますよ。ひとつ差し上げましょうか?」
「ははははっ、いや結構です」
「ギター・ケースもいいですか?」
「はい、何でも調べてください。でもね、新幹線の出発時間まであまりないんですよ。弁当も買いたいし・・・・ね」
「はい・・・」と、言って警官のひとりはギターの絃などが入ったポーチも丹念に調べている。
「これはなんですか?」
「それはギターのピックケースです。どうぞ中見てください」とジミ・ヘンの絵が描いてある小さなケースを開けて見せた。
今度は絃が入ったイシバシ楽器の袋を見ている。
ふたりの警官は顔を見合わせて「こいつ、何もなかったな・・・」という感じ。
しかし、周りを歩いている人たちがジロジロ見ていく。
やっぱヤバイことでつかまる奴はこんな奴なんだ・・・・って思ってるんだろうな。
大声で「私は何も持ってないのに、何もやってないのにしつこく職質されているんです!」と言いたい。
時間も経って次第にキレてきた私は「服のポケットとかも探しますか?パンツの中とか・・なんならここで裸になりましょうか?」と言った。
すると、警官は「ああ、いいです。いいです」「ありがとうございました」と職質は終わりふたりは去っていった。
やっぱり周りからジロジロ見られている。
「ほら、オレは無罪だ!」と言いたい。
無罪と大きく墨で紙に書いて裁判所前から走りたい。
でも、無罪っていうのも変だな。
誕生日の昼下がりに思い出に残る警視庁からのプレゼント・・・・職務質問でした。
Happy Birthday To Me〜♪
(2009/10/27更新)
2009/09/10 (Thu) 09.09.09 渋谷タワーレコード『ビートルズ祭り』セレモニーの夜
  『ビートルズ祭り』セレモニーに私とムッシュがゲストで呼ばれた。
1987年にビートルズのアルバムがCD化されてから22年経って今回初めてのデジタル・リマスターされるということで私もその音を聴いてみたが、これが実に素晴らしい。かなり高価なものだがやっぱり買うかという気に私も傾いている。
さて、そのセレモニーの様子だ。(photo diaryも見てください)
実は先日、渋谷タワーでインストア・ライヴをやった時に今回の『ビートルズ祭り』の担当の方が「くす玉」か「テープカット」があるのでよろしくと言う話を楽屋でされいた。その時私は「テープカットの方がいいと思いますよ。くす玉は結構難しいですよ」と担当の方に申し上げた。
というのも私は学生の頃、いろんな催し物で使う看板や花輪やくす玉を作る会社でバイトをしたことがあった。その時くす玉は割れなかったり、ヒモがスポッと取れてしまったり、また始まる前にちょっとしたことで割れてしまったり、中身がきれいに出なかったり・・と作るのがなかなか難しかったという記憶があったからだ。
だが、この日控え室に行くと担当の方が「くす玉」になりましたと言われた時からなんとなくイヤな予感が・・・。
さて、セレモニーは始まり私とムッシュがひな壇に座ってインタビューされ、いよいよカウントダウンが近づきくす玉割りというのでスタッフによってくす玉がよいしょよいしょとひな壇のところに持って来られた。テレビ・カメラ、新聞社はじめマスコミのカメラもスタンバイ。お客さんたちも携帯やデジカメを用意している。そろそろとくす玉が運ばれてきた。その出てきたくす玉が少し大き過ぎるのでは・・・・・・と思った瞬間、くす玉が・・・割れてしまった。ありゃ〜だ。割れないといけないと思ったのか、とじ目をゆるく作ってあったせいだろうがちょっとした勢いでくす玉は割れてしまった。
私は思わず「あ〜あっ」と言ってしまった。だからテープカットにしとけば・・・。
たくさん集まっていたお客さんたちは大笑いだ。私もムッシュもみんなもう笑うしかない。しかし、その瞬間ムッシュは笑いながらもすかさず「はぁ〜い。リハーサルでしたぁ」と言われた。さすが!
担当の人たちは慌ててくす玉の中身を元に戻している。戻すというか詰め込んでいる。その姿がまた笑える。これじゃコントだ。が、もうすぐ1分前だ。私もくす玉を元に戻すのを手伝う。もうドタバタだ。あと30秒くらいでやや不細工だがなんとか元の形に戻した。そして10・・9・・8・・とカウント・ダウンは大笑いのまま無事(無事じやないけど)終了。
ビートルズのアルバムを買い求めに夜中に来たフリークたちの笑いと喜びの中でなんとなくうまく終わった。
しかし、私とムッシュは控え室に戻っても笑いが止まらなかった。
たぶん天国のジョンも大笑いしているだろう。
教訓-くす玉には気をつけろ!
2009/06/15 (Mon) 2009.6.14
  音楽を言葉にするのはとても難しいことで私も雑誌やライナーノーツに原稿を書く時は四苦八苦していますが、今回のアルバム"Mojo Boogie"について私の長年の朋友であり、相談役であり、いろんな意味で心を寄せているKさんからこんなメールをいただきました。
アルバムが褒められているからという理由ではなく、音楽を言葉にする時の文としてとても素晴らしいと思いご本人の承諾を得て掲載させていただきます。ちなみにKさんは編集の仕事をされています。
たぶん、こんな風に素晴らしい文を書けなくてもこんな風に思ってくれている人たちはたくさんいると私は信じてます。
でも、何か言葉でこうして書いていただくとまた背中を押され、前に進む気持ちになります。
では、とても個人的なメールなのですがお読みください。


『ホトケさん
こんばんはであります。
今日はなんだか蒸し暑かったですね。ひと息いれている時期でしょうか。

『MOJO BOOGIE』、いいですねえ。すばらしいアルバムになりましたね。
これまでの2枚、どっちも好きですが1曲目からぐいっと持っていかれます。今回もそれですね。このパワフルさはなんなんでしょう。
いっきに聴けてしまうのがなによりもいいですね。ブルースを聞きはじめたころ、カントリーブルースはすこし慣れというかのか、耳のグレードアップみたいなものが必要だったように思いますがシカゴブルースはアルバムに針を落とした瞬間からいきなりはまり込んでしまいました。そのとき感じを思い出しました。新宿のタワレコの視聴コーナーに現在のシカゴのミュージシャンたちが「ブルース名曲集」を演奏しているアルバム(カルロス・ジョンソンなんかもゲストで参加してました)があり、それをすこし聴いたんですが、緊張感と解放感が一体になったブルース感がつまっているのは明らかに『MOJO』でした。(カルロスさんはギターはいいですが歌が弱い?ギターもラッシュの『美は乱調にあり』感にはとうてい及ばない印象ですが…)

ぜんぶそうですが、とくにというか「I don't want〜」「mojo〜」は最初の音がすばらしいですね。「I don't want〜」はギターの勢い、音色がたまりません。だんだんに盛り上がっていくんじゃなくて、いきなりトップスピードに達する感覚がシカゴですね。リハなし即本番な感じが好きです。メンフィス以南だとこうはいかないでしょうね。テキサスもちょっとちがうかな。あ、でも「mojo〜」のワイルドな音はウエスト・メンフィスふうの荒くれな感じもします。ジョニー・ウィンターのヴァージョンがわりと好きだったんですが、こっちのほうがレノアーの意向に近いかもしれませんね。「one way out」のすこしモダンな空気感も好きです。うちの息子はこの曲が一番好きみたいで、ベース練習させてもらってます。オールマンのやつをさんざん聴いていたからよけい好きなのかもしれませんが。

「don't throw your〜」!このあたりはもうホトケさんの独擅場ですね。歌とギターの一体感は無敵でしょう。ソロに入る瞬間のうめきのような声がこれがまたまいります。今回ぼくが一番好きな曲でしょうか。声の力はまるで衰えてませんね。全体に感じましたがキイをまるで下げてない印象が全体のスピード感の秘密かもしれませんね。変な言い方ですが歌じたいがマイルス・バンドのポール・チェンバースとフィリー・ジョーのようです。もちろん実際にはタカちゃんと中条さんがその役割をはたしてくれているんだと思いますが、歌じたいがリズム隊のようにも聴こえます。すばらしいです。

「rip it up」のR&Rもいいですね。アルバムに幅を出してくれてますね。オリジナルはリトル・リチャードですか?面白いなと思ったのはkotezくんの歌う「blues with〜」で、彼が歌うとなぜかエクセロな風が吹きはじめるようで、いい感じにイナたくなりません?声質かなあ。

すばらしいアルバムに仕上がりましたね。ウエストのもっていた緊張感とホトケさんのキャリアがつくる解放感がちょうどいいバランスでバンドにミックスアップされたように思いました。イケイケ&速弾きギターをフィチャーしたブルースの好きな日本人ファンにいいショックを与えてくれると思います。オビにあった「50年代を呼び覚ます音から、新たなブルーズ衝動が生まれる」のコピー、名言だと思いました。ぼく自身は「50年代を呼び覚ます」というより「ブルースの生成を呼び覚ます、新たなブルーズ衝動」というような言い方のほうがしっくりきますが。

ところで…ここ2〜3年ホトケさんを見ていて、音楽を聴いていて、こりゃ負けてられないなあと、じつはこの4月に慶應大学の通信課程に入学、還暦を前に新入生として勉強をはじめました。ブッチャーさん、伸ちゃんは亡くなってしまいましたが、山岸くんTちゃんもみんなも自分の足で歩いてますよね。それを思うと自分の知識とか経験とかがあまりにも断片的であやふやなものか、ずっと気になってたんですが、まあどこまで行けるかはわかりませんがしばし悪戦苦闘してみたいと思ってます。「1」知るたびに「99」の知らないことがあることに気づかされる日々ですが、こうやってホトケさんの歌、ギター、『MOJO BOOGIE』のみんなの音楽を聴くのとおなじようにいい刺激になります。

しばらくしたらまたツアーですよね。日本中をブイブイいわせてきてください!』
(2009/06/15更新)

2009/04/20 (Mon) 「2年間」
  浅野君が亡くなって今日(4/20)で2年が過ぎた。僕の中ではこの2年は長かったような、また短かったような、ふたつの気持ちが重なり合っている。
「The Blues Power」を共にやっていた浅野君が亡くなった後に始まった「blues.the-butcher-590213」(ブルーズ・ザ・ブッチャー)は、彼が最後にやりたかったBLUESという音楽を残された沼澤君と僕が中條君とKOTEZ君の加入を得て始めたバンドだ。もうすぐ二枚目のアルバムが出る。
この2年間ツアーもできる限り続けてきた。どこのステージでもイベントでもレコーディングでも浅野君は僕たちと一緒にいる気持ちで・・・。

僕にとってはとりわけギターという楽器と毎日対峙している感じの2年間だった。
とてもとても浅野君のギターの腕には及ばないのにこのバンドにはギタリストは僕しかいないのだ。だけど、沼澤君が言うように浅野君の代わりに誰かギタリストを入れることは考えられなかった。「The Blues Power」以前はギターを持たない(シンガー)だった僕にとって浅野君のような優れたギタリストの後をひとりで切り盛りするのは時に心の重荷だった。聴きに来ている人たちは浅野君のギターがないからがっかりしているだろうと思うこともあったり・・・いや、今でもあるかな。でも、僕がその重荷を抱えてただ沈んでしまったら浅野君はがっかりするんじゃないかと僕は思ってきた。
BLUESは正直な音楽だから正直にやるしかない。いまの自分を聴いてもらうしかない。自分の人生と同じようにギターでも僕はミス・トーンをする。でも、今日はうまくいったかなと思う時もある。そういうことの繰り返しだったし、これからもそうなのかも知れない。「立て板に水」のように弾けたらいいなぁ・・・と思うこともあるが、「どぶ板に泥」のように生きてきた僕には無理なようだ。でも、B.B.キングの「毎日15分でいいから、何かを見つけようと思ってギターを弾けばきっと上達するよ」という言葉を胸にギターを弾いている。

僕はこの2年BLUESが虚飾を許さない正直な音楽であるように、僕たち4人の正直な姿を音にしてみなさんに聴いてもらっていると思っている。浅野君の正面からBLUESに取り組みたいという意志をそのままに僕たち4人はいつもステージでBLUESとガチンコしている。
そして、浅野君の残した想いを核にして僕たちはBLUESという素晴らしい音楽の数少ない本当の担い手として誇りを持って先に向かって広がり進んでいる。
振り返ることはない。何故なら「今も」浅野君は一緒にいるわけだから昔を振り返ることはない。振り返るのは僕自身が終わりを迎える時だ。それまではもう突き進むと決めている。
落ち込んで何もしないことを浅野君は望んでいないと思う。僕たちと聴きに来てくれているみなさんとが立ち止まらないで新しい地点に向かって歩いていることを彼はきっと望んでいると思う。そして、僕たちブルーズ・ザ・ブッチャーが演奏しているところに来てくれたら僕たちのBLUESの中にみなさんは「本当のこと」と浅野君を見つけると思う。初めての人もしばらく足が遠のいていた人もどこかでいまのブルーズ・ザ・ブッチャーを聴きにきてください。いま僕たちバンドは素晴らしい瞬間を迎えているような気がするからです。

この間は浅野君が久しぶりに夢に出てきた。僕たちが演奏しているフェスティバルみたいな会場に入院している浅野君が観にきていた。パジャマ姿だった。僕が一緒にやろうよと言うと「長い間、練習してないからイヤだ」って言っていた(パジャマだからイヤなのではなかった)。でも、演奏しているうちにやりたくなるだろうと思って時々浅野君を見ながら演奏していたら、いつの間にかいなくなっていた。胸がからっぽになったような夢だった。

浅野君の命日の今日は用事があって行けないので先日お墓参りに行ってきた。春なのに暑かったのでたくさん水をかけてあげた。そして、浅野君にいろんなことを報告して話していたら偶然、浅野君の奥さんの佳三恵さんと息子さんたちがいらっしゃった。佳三恵さんはタバコに火をつけて浅野君にあげていた。僕があげたお線香の煙とタバコの煙が一緒になっていた。そして、緑と春の光が降ってくる中を浅野君と待ち合わせしたこともある駅まで浅野家の車で送ってもらった。

桜は散ってまた夏が来る。新しいアルバム"Mojo Boogie"がリリースされる。そして、6月から長いツアーが始まる。Keep On Running!だ。

この2年、ブルーズ・ザ・ブッチャーは応援してくださるファンのみなさん、写真家の菅原さんとスタッフの方々、各ライヴハウスの方々、そして井村君はじめP-Vine Recordsのみなさんの暖かい支援を得てやってきた。いま改めてみなさんに感謝の気持ちを言わせていただきたい。ありがとう!これからもよろしくお願いします。
永井“ホトケ”隆
2008/12/26 (Fri) 「2008年を振り返り」
  今年もいろんなところへツアーに出かけ、いろんな景色を観ていろんなものを食べて、いろんな人と出会った。
持病はあるが大した病気もせず無事一年を過ごせたことを感謝したい。
ツアーの移動する電車の中で自分はいつまでこういう生活をできるのだろうか・・・・と以前にも増して思うようになった。
残り時間は「神のみぞ知る」だが、目的のために時間は欲しい。

好きな音楽を生業にして好きなブルーズだけを歌い、大して金はないが日々嫌な思いをすることもあまりなく生きている。
それだけで充分幸せだ。

多くを望まず。
私はあまり賢くはないので多くを望むと何が大切なものかわからなくなる。
どんな生き方をしても失うものもあれば得られることもあると思うが、すべてを得られることはないと思っている。
だから自分の本当に大切なことだけ、大切な人たちだけを失わずに生きていく・・・・それでいつからか「多くを望まず」ということになった。

「ブルーズを歌い続けること」−それが私の生きている意味の中心である。
私には小さいが自分の場所があり、その場所からその意味を確認しながら生きている。
そして、その向こうに目的としている深遠なる場所がある。
そこにたどり着くにはどのくらいの時間が必要なのかわからない。

今年は塩次伸二はじめ自分にとって大切な人が何人か逝去した年だった。
応援してくれた君嶋さん、優れたギタリストだった飛田くん、長年ファンでいてくれた柳川君、お世話になったFMアルファ・ステーションの田中さん・・・・・みんなにもっと時間があれば・・・と思う。
40年近くつきあった伸ちゃんのことはいまだに気持ちの整理がついていない。
音源や写真、映像など彼を想い出させるものが時々引き出しから出てくる。
ミュージシャンである彼を失った大きさや重みは年を経るごとに私にのしかかってくるのだろうと思う。

大村憲司さんが亡くなられてから10年。この10年の間に青木智仁君、ブッチャー(浅野祥之君)、塩次伸二・・・・・何人もの素晴らしく才能のあるミュージシャンを見送った。もう喪服を着るのは勘弁して欲しい。
そして、無能な私のような者が残っている。
彼らの残した素晴らしい音源を聴くたびに、無能なくせに怠惰な自分が恥ずかしくなる。
でも、彼らに私は支えられている。
胸の奥でずっと彼らの音が聴こえている。それに支えられている。

今年新しいバンド(blues.the-butcher-590213)で1st.アルバムを発表できたことや、コンスタントにライヴを続けられていることの後ろには多くの人たちの支えがあることを忘れてはいけない。
来年も新しいアルバムを出し、旅を続ける。
応援していただいている皆さんにはたくさんパワーをいただいた。いやパワーだけでなくいろんなヒントをもらっている。そういういただいたものを何倍にもしてお返ししたいと思っている。
改めて、みなさんありがとうございました! よいお年をお迎えください!  永井“ホトケ”隆

最後に今年私の心に多くの潤いを与えてくれた素晴らしい歌、音、文、映像を憶えているだけ記します。
☆"One Kind Favor"(B.B.King)
☆"Lay It Down"(Al Green)
☆"The Original Soul Man/DVD"(Sam&Dave)
☆"City That Care Forgot"(Dr.John)
☆"Dreams To Remember"(Otis Redding)
☆"Tell Tale Signs"(Bob Dylan)
☆"Live Hope At The HideOut"(Mavis Staple)
☆"Simply Grand"(Irma Thomas)
☆"Soul Galaxy-Gambling To Sweet Harmony"(Various Artists)
 ☆「スタックス・レコード物語」(ロブ・ボウマン著 新井 崇嗣訳)
☆「カトリーナが洗い流せなかったアメリカの貧困」(マイケル・エリック・ダイソン著 藤永康政訳)
☆「半生の記」ほか何冊かの松本清張の本
☆"One Man Band"(James Taylor)
☆"Covers"(James Taylor)
☆ジョン・クリアリーの来日ライヴ(於 渋谷クアトロ)
☆"Like A Fire"(Solomon Burke)
☆"伝説のマックスウェル・ストリート/DVD"
☆"Devil Got My Woman/DVD"
☆"ザ・コンプリート・コブラ・シングルズ"
☆"超秘蔵パフォーマンス1960-79/DVD"(Lightnin' Hopkins)
☆"ボトルネック・ギター伝説の巨人たち/DVD"(サン・ハウス他)
☆"Together Again"(塩次伸二&山岸潤史)
他 マジック・サム、ライトニン・ホプキンス、アルバート・キングなどのブート・レッグなど。
2008/11/04 (Tue) 「西へひとり旅、名古屋〜大阪〜神戸〜泉佐野〜岐阜」
  10/22(水)名古屋「Slow Blues」
昨日、故塩次伸二の告別式を栃木佐野で終えて古田光郷君の車で東京に送ってもらい乃木坂でレコード会社の打ち合わせに行き、今日旅に出た。3日前の仮通夜、お通夜、告別式と慌ただしく、疲れていたのか新幹線でぐっすり眠ってしまい名古屋であやうく乗り過ごすところだった。
去年浅野君が亡くなった後もすぐ旅だった。でも、こういう時は忙しい方がいい。想い出したり、考えたりする時間がない方がいい。
それでも想い出してしまう羽目になる・・・・・・・今日の名古屋「Slow Blues」で初めてライヴをやったのは伸ちゃんのセッションだった。あの時、打上げでカラオケに行って、カラオケのマイクを抜きギターのシールドを入れてみんなが歌う曲のバックでずっとギターを弾いていた塩次伸二。私に「ホトケ、イパネマ(イパネマの娘)歌えんか」と言っていた。ボサノバも好きな人だった。
今日一緒に演奏した「伸ちゃんの名古屋の一番弟子」を自認するギターの木下和彦君も伸ちゃんの話になると沈んでいた。そう言えば伸ちゃん、木下、私の三人でやったライヴもあった。
「Slow Blues」でのライヴ後、移転した「OTIS」に飲みに行った。ジュークボックスからスウィート・ソウルが流れていた。

10/23(木)大阪「IVY」
今日から三日間は森俊樹君とのデュオ。この店にはウエストロード・ブルーズバンドの貴重なデビュー・シングル盤「Tramp」が飾ってある。B面は「Cold Cold Feeling」。生まれて初めてのレコーディングは目黒のMouri Studioだった。一番大きなスタジオで一発録りだった。すべてが手探りの録音だった。ウエストロードの1st.アルバムは恥ずかしくて自分では絶対に聴かない。でも、伸ちゃんのギターは聴いてみたいと思う。
ライヴが終わってから毎日放送のみなさんと一緒に「IVY」と同じビル1Fにある「After Hours」へ。
かなり飲んで帰ろうかと思った頃、みなさんに「Happy Birthday」を男ばっかで歌ってもらった。そう、日が明けて10/24は私の誕生日。
みなさん、ありがとうございました。
京都では伸ちゃんのお別れ会が行われ会場のMojo Westに入れないほどたくさんの人たちが来たそうだ。

10/24(金)神戸「James Blues Land」
1年以上前から「James Blues Land」のマスター鈴木さんに私のバースディ・ライヴをやりたいとオファーを受けていた。もうバースディ・ライヴなんかやるような年でもないと私は断ったのだが、マスターの強いオファーに負けてやることになった。でも、特別なことはなくここでいつもやっているように森君とのデュオとなったのだが、それではあまりに「華」がないといことで「神戸のブルーズの華」Nacomiちゃんにゲストで来ていただいた。お店からバースディ・ケーキも出してもらい、たくさんの方からプレゼントをいただいた。ありがとうございました。
Nacomiちゃんは伸ちゃんの訃報にいち早く栃木に駆けつけてくれ、お通夜、告別式と本当によく動いてくれた。涙で目を腫らしながら・・ね。神戸の一番弟子としてがんばってください。

10/25(土)泉佐野「漫画屋」
泉佐野もこれで4回目だ。いつもの「佐野川Same Old Blues Band」ともうひとつ初めての「K9th」というバンドがオープニングを演ってくれた。両方ともブルーズ、R&Bに熱い気持ちあふれるいい演奏だった。とくにこれで4回目となった「佐野川・・」は本当に少しづつ良くなっている。練習すれば絶対に良くなる!最後は恒例のセッション大会だったが、やはりそれぞれの人間性や個性がはっきり演奏に出てしまうのがブルーズの面白いところだ。客席もすごく盛り上がって私が「泉佐野ブルーズコミュニティ」と名付けたここの人たちはいい感じになってきた。ここでもバースディ・ケーキを出してもらった。感謝です。また、暖かくなった頃行きますね。
森君、ステージだけでなく三日間いろいろと気を遣っていただいてありがとうございました。スライド・バーもありがとう。

10/26(日)岐阜「Salt122」
一緒にやる渡辺こうじ君に「来るたびにいつも訃報を持ってきますね」と言われてしまった。去年の浅野君の急逝、その前のピアノの本田竹広さん、その前は元ソーバッドの砂川正和君・・・・。伸ちゃんとも何度か岐阜に来たことを想い出す。
今夜のメンバーはいつもの鈴木君、飯沼君、そしてこうじ君だったが、この夜はとても演奏がしまっていた。自分で言うのもなんだが充実したいいライヴだったと思う。マスターのケイスケ君、いつもありがとうね。ちょっと疲れていたので一緒に飲めなかったけど次回はゆっくり飲みましょう!
別に眠いわけではなかったが、演奏後いつもより早めにこうじ君にホテルに送ってもらった。部屋でぼんやりテレビを観ているような観ていないような・・・。朝まで寝ているような寝てないような・・・・。

10/27(月)Back To Tokyo.
浅野君の時もそうだったが、どんなに大切な人を失っても私たちが生きている時間はどんどん動いていく。悲しさやくやしさに浸る暇もなく、涙に暮れている時間もなく。携帯には数ヶ月先のスケジュールが入ってきて、明日の仕事の確認の電話が鳴る。でも、忙しさに追われても忘れられるわけではない。とんでもない時にどこからやってくるのか、悲しい気持ちは押し寄せてくる。ふいに胸の底からせり上がってくる。いままでお通夜でも告別式でも私は泣いたことがない。なのにひとり蕎麦屋で蕎麦を食べている時に逝ってしまった大切な人を思い出し蕎麦が苦くなってしまう。
2008/10/14 (Tue) 10月某日/祝!開業!そして歯のクリーニング
  かって歯医者は行きたくないところのひとつだった。でも、3年ほど前に「よし!歯をちゃんと直そう!」と決意して横浜まで数ヶ月治療に通っていた。
自分で言うのもなんだがかなり真面目に通った。その時治療中すぐに痛がる私に「弱虫だねぇ」と言いながらしっかり治療してくれた枝川千春先生がこの度渋谷(青山寄り)でめでたく開業された。
それで開業のお祝いを持って定期クリーニングに行ってみた。青山通りの青学の少し手前、スタバのある交差点を六本木通り方面に歩いて3分ほどだ。少し遠くから見ると店構え(店構えはおかしいか、院構えか)はクレープ屋のように可愛い。名前は「BLUE DENTAL CLINIC」というのだが、当然のように私は「なんでBLUEやなくてBLUESにせんかったん?Sつけなあんかんやん」と突っ込んだ。でも、「ブルーズ・デンタル・クリニック」では直りそうにもないか・・。
実は千春先生は黒人音楽好きでニューオリンズで一緒にクラブめぐりをしたこともある。自らキーボードも弾かれる。そして、独身だ。このところすっと痩せてきれいになられたので「いい男でも・・・」と言いそうになったが、治療に影響して痛い目に遇わされるのはイヤなので黙っていた。
今回、私は歯のクリーニングに行ったのだが、その前にデータ作りでレントゲンだけでなく専用のデジカメで前、横、裏と歯の写真を撮られた。金属のヘラみたいなものを頬っぺたの横や口の中に入れるので、その撮られている顔はたぶんとんでもなくブサイクだったと思う。そして、それらをコンピューターに入れ込んでそれを見ながらこれからやる治療の説明を受けるというとてもわかりやすいシステムになっていた。歯医者さんもどんどんデジタル化している。好奇心をそそられたアナログな私はいちいち「これは何なの?」と質問してしまったがウザかったかも知れない。歯をきれいにクリーニングしてもらった後、歯磨きの仕方を教わり今回は痛いことは何もなく帰ってきた。
ちなみに3年前千春先生に治療してもらった歯はすごくしっかりしていて一度も痛くなったことがない。徹底した治療が定評です。私は名歯科医だと思ってます。
歯が痛くなったら、また歯をきれいにしたかったら「BLUE DENTAL CLINIC」へどうぞ。
ほどよい音量でソウル・ミュージックやジャズなどが流れています。
開業、おめでとうございます!
「BLUE DENTAL CLINIC」 東京都渋谷区渋谷2-4-6 サンゼンビル1F tel:03-3407-5841
2008/10/01 (Wed) 9月某日「Five Long Years」
  運転免許証の書き換えに行った。僕が免許を持っていないと思っている人の方が多いと思う。実際のところ何年も運転していない。だから免許証には「優良」と書いてある。運転しない最大の理由は酒が好きだからだ。ああ、もうひとつは駐車が苦手だから・・。と言うわけで、いまや運転免許証は自分の身分証明の役割しかない。
親兄弟をはじめ周りの人からは「乗らない方がいい」とか「運転に向いていない」と言われている。自分ではなかなかイケてるドライバーだと思っているのだが。いままで完全に信頼して(?)同乗してくれたのはたったひとり。真夜中のロスアンゼルスのフリーウェイをぶっ飛ばす僕のコルベット(もちろんレンタカー)の助手席に乗っていた山岸潤史だ。彼をレコーディング・スタジオからホテルまで送ったのだが、ラジオから流れるジャズを聴きながらふたりとも窓を開けて「ええ気持ちやなぁ」とまだ夜が開けぬひとときを楽しんだ。でも、いま考えると僕の運転を信頼していたのではなく、彼はレコーディングで頭がいっぱいだけだったのかも知れない。あれはもう何年前のことだろう。
前の免許証の自分の顔写真を見てみる。つまり5年前の自分の顔だ。今回の顔写真と比べてほとんど変化はない。少しは年相応のいい顔になっていると思っていたが・・・・残念だ。
でも、僕の内実はこの5年でずいぶんと変わった。それを書き出すとすごく長くなるので止めるが、ひと言で言うと自分の歩いていける道を見つけたことだ。いや、見つけた気になっているだけかも知れない。いままでもそんなことがあったからだ。でも、たぶん今回は本当の道だと思う。この年になって「自分の歩いていける道」なんて「いままで何やってたんや!?」と自分につっこみたくなる。本当に長い間何やってたんだろう。たくさんの無駄な時間を過ごした気もするが、そのたくさんの無駄がバカな私には必要だったのだろう。
その道を見つけることは自分の力だけではできなかった。閉ざされていた扉を開いてもらったような感じだ。いろんな人の助けをこの5年間もらってきた。感謝している。
次の書き換えまで5年。次はどんな顔写真になっているのか。
5年後もいまの道を黙々と歩いていることを望むばかりだ。

Bluesにはエディ・ボイドというブルーズマンの"Five Long Years"という曲がある。5年間ひとりの女のために働いたというブルーズの名曲です。

以上、免許証の書き換えに行った雨の日に思ったことでした。
 
●過去の更新履歴●