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謹賀新年 2018年

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クリスマスも大晦日も昔ほど年の瀬のワクワク感がなくなったのは自分が年をたくさん重ねたからだろうか。
でも新年はなにか佇まいをしっかりせねばといまも思う。
若い頃は「今年は日記をつけよう」と思って新年に新しいノートを買って書き始めるのだが、1月の真ん中ぐらいでいつも終わってしまった。
そしてもうひとつ、新年になると想い出すのが亡くなった父親のことだ。
元旦の朝、風呂に入ってお袋が作ったおせち料理やお雑煮を前に食卓の座布団に座っていると、父親がやってきて短い新年の挨拶のようなことを言ってそれが終わるとみんなで料理を食べ始める。
しばらくすると親父が丹前の袂からお年玉を出して、僕と兄は「ありがとうございます」と言って受け取る。
ひとしきり料理を食べて父親が酒を飲み終わると、家族で神社に参拝にいく。
帰ってくると親父はまた酒を飲み、僕らはみかんを食べながらテレビを見る。
おふくろはずっと台所にいたような気がする。
元旦の日は友達の家に行くのは禁じられていたし、誰かが訪ねてくることもなかった。
「元旦は家で大人しくしているものだ」と父親に言われていた。
夕方になると父は再び風呂に入って夕食を食べ、新聞や届いた年賀状を見ながらずっと飲み続ける。
そのダラダラと飲むことが母は嫌いで台所で愚痴っていた。
父は子供と一緒に凧揚げをするとか歌留多をするとかない人だった。
正月は夜更かしを許されていたので眠い目をこすってテレビを見ていたが、子供たちと一緒に見て大笑いする父ではなかった。
そして、寝るために父の部屋の前を通ると、父は布団の上にお盆に載ったウィスキーを置いて、ちびちび飲みながら本を読んでいた。それはいつものことだったが・・・。
いま思う・・・・父は子供のことを、僕のことをどう思っていたのだろう。
正月になるといつもそう思う。

2018年1月2日近所の神社に参拝に行き、帰り近所を散歩した。
神様への頼み事は健康だけ。
きれいな正月の空を見れるだけでも幸せに思う。