MY NOTES > My Feeling For The Blues > No.77




77-「ビートルズ・カバーソングの聴き方」
(恩蔵茂著 河出書房新社)(photograph参照
 

今年9月の初めに発売されたビートルズのMONO BOXを聴いてその音のリアリティ感に驚くと同時にビートルズの演奏力、歌唱力のクオリティの高さに改めて感嘆した。
ビートルズが世に出た頃私は中学1年だった。当時イギリスからは数え切れないほどたくさんのグループがデビューした。しかし演奏力、歌唱力、作詞作曲の力、そしてビジュアル的なバランスの良さも含めやはりビートルズはグループとしてダントツの力を持っていた。
そして、何よりビートルズの音楽が醸し出すあの不思議なワクワク感。学校から早く家に帰ってレコードを聴きたいと思ったあの気持ち。例えば映画「ビートルズがやってくる、ヤァ、ヤァ、ヤァ」の冒頭のシーンは何度観ても幸せな気分にさせてくれる。公開当時、私は名古屋の映画館にまる一日いて計3回観た。そして、見終わって帰る時、映画の最初のシーンのように走り出したい気持ちになった。

そんな話をムッシュとした後日、ムッシュからいただいたのがこの本「ビートルズ・カバーソングの聴き方」だった。

これがすごく面白い本だった。数あるビートルズ関連の本の中でもこの本の視点はとても個性的であり、なおかつビートルズというグループの本質にうまく肉迫した1冊だと思う。
もちろんタイトル通りビートルズがカバーした曲のオリジナルの話も取り上げられているのだけど、それを取り上げたメンバー各自の音楽的嗜好についてもその幼少時代の音楽的体験から探られている。また、ビートルズが登場する以前のイギリスの音楽シーンの話もとても興味深かった。
あまり内容を書いてしまうとこれから読む人がつまらなくなってしまうのでほどほどにしておくが、それぞれ個性的で才能のある四人が集まり、そこに音作りに非常に熱心であり四人の才能をいち早く察知したプロデューサー、ジョージ・マーティン、それにビートルズに人生を捧げたようなマネージャー、ブライアン・エプスタイン、その他情熱のあるスタッフたちの力を得てビートルズが頂点を極めていくプロセスは小説を読むようにぞくぞくするものがあった。
しかし、片方でスタジオワークに熱中し高い音楽性を求めていくなかで次第に失われていく「バンド」としての実体。
かってはワン、トゥ、スリーとかけ声一発でライヴと同じように同時録音していたものが録音技術の発達やエンジニアたちの工夫によって様々な音が加工され、付加されていく。バンド全員で一緒に演奏するという最も大切な部分がなくなっていった頃からビートルズは解散に向かっていたんだと再認識した。
そして、各自が別々に曲を作り出し、時には別々に録音が始まる。そこには各自の個人的な体験(音楽体験だけでなく恋愛や友人関係などすべて)が色濃く反映されていきアルバムの統一感はなくなっていった。
アルバム『リボルバー』あたりから「すごいことやっているなぁ」と思う一方で、初期の頃のような私のワクワク感もなくなっていった。まあ、当時は「いつまでもガキじゃないよ」というお兄さん的なビートルズの気持ちも感じたが。
ビートルズのアルバムはすべて好きだが、やはり『HELP!』までが私のお気に入りだ。
そして、格別好きなのが『Beatles For Sale』だ。
その『Beatles For Sale』に入っている"Kansas City"を今年作ったムッシュとのアルバム「ロッキン・ウィズ・ムッシュ」で私は歌っているのだが、実は中学から口ずさんでいた曲だ。でも、その"Kansas City"もポールがリトル・リチャードのヴァージョンからカバーした曲だ。原曲のリトル・リチャードも強烈な歌だが、ポールの歌も引けを取らずいい勝負だ。ちなみにリトル・リチャードのカバーはポールとCCRのジョン・フォガティのふたりがすごい。ロックの塊みたいなリチャードを歌える白人シンガーはこのふたりくらいではないだろうか。
話がすこし逸れたが、この本の著者はあとがきで「ぼくにとっては、ビートルズはまぎれもないロックンロールだった」と書いている。そう、素晴らしくピュアなロックンロールだったから私もワクワクして、幸せな気分になれたのだと思う。
中学の頃、ビートルズの歌を歌いながら家へ帰る時、自分の気持ちはロックしてそしてロールしてそれだけで本当に楽しかった。
それから何十年、いまもビートルズは私の中でロックンロールする永遠の音楽だ。

最後にひとつだけこの本の中に書かれてあった大切な一節を紹介しょう-ポールと音楽的な考えがほぼ同じだったプロデューサー、ジョージ・マーティンは『サージェント・ペパーズ』発表後、「音楽を交響曲のように考えるんだ」とジョンに言ったそうだが、ジョンは「そんなのは僕にとってロックン・ロールじゃないよ。ロックン・ロールっていうのはグルーヴがあってこそいい歌なのさ」と言った。
まさにそうだと思う。ロックンロールもブルーズも、ソウルもファンクもジャズもすべてそうだ。
グルーヴなくして何もない。そういうグルーヴをメンバーみんなで作るところにバンドの喜びはある。そして、いいグルーヴが生まれた時の快感は他のものには換えがたいものがある。

ビートルズが解散した1970年以降、私はブルーズに急接近していった。ウッドストックが過ぎて、ジャニス、ジミ・ヘンも亡くなりビートルズも解散しなんか好きな音楽がなくなっていく時に、私にとって新しいグルーヴがブルーズだったと思う。
しかし、そのブルーズがあまりに深過ぎていまだにブルーズの"Deep Blue Sea"を漂っている始末。

「ビートルズ・カバーソングの聴き方」、お薦めです。一気読みしました。


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