2004年6月25日(金)
SCHEDULE [7/6〜7/27]更新!!

2004年6月16日(水)
MY NOTES [DIARY] 更新!!

2004年6月8日(火)
MY NOTES [DIARY] 更新!!

最新NEWS!!

今度の土曜日、6/12(土)に東京四谷3丁目の洒落たバー「Bar 461」で上村秀右 (g) とのデュオ・ライヴを初めてやります。初めてのお店でのライヴなので皆さん是非いらっして下さい。都営地下鉄「曙橋から2分ほどのところです。
問い合せ:03-3358-7283
またお店のHPアドレスはこちらです
http://www2.odn.ne.jp/bar461/

2004年5月31日(月)
SCHEDULE [6/4〜6/29]更新!!

2004年4月30日(金)
LINK [Live House] JIROKICHI 30thANNIVERSARY 追加!!

News JIROKICHI 30th ANNIVERSARY!
東京高円寺の老舗ライヴハウス「Jirokichi」が今年30周年を迎えるにあたって、6月いっぱい30周年記念ライヴ月間をやる。そのためのHP(JIROKICHI 30thANNIVERSARY) が出来たので一度見ていただきたい。私は6/25(金)に鮎川誠と記念ライヴをやる。また、7/25には日比谷野音で記念のコンサートも催されるが、そちらの方にもメンバー未定ですが、出演するのでチェックしてください。

2004年4月27日(火)
MY NOTES [DIARY] 更新!!
LINK [Musicians,Radio Station,Others] 追加!!

2004年4月16日(金)
「すっきりしない電話インタビュー取材」

お知らせがちょっと遅れましたが、4月15日付の朝日新聞朝刊の文化欄に短い記事ですが、ブルースの特集があり私の言葉が少し出ています。かなり長い時間の電話インタビューをされたのですが、まあ編集されて掲載される時はいつもこんな短い感じになるんです。しかし、文面から現在日本にブルースの盛り上がりがある、またはこれからやってくるように私が言っているように受け取れますが、実はそうは言わなかったんです。以下のように言ったのですが・・。
「アメリカやイギリスのミュージシャンのようにブルーズをルーツにして、自分たちのロック(音楽)を作るようなことは日本の音楽業界の構造から現在は難しい状態になっている。それは所属事務所、レコード会社が権利、金銭面の関係から日本語のオリジナルを次々作るように若いミュージシャンに要請するために、ブルースのカヴァーをやってまずルーツをつくるなんて作業をしている若い人はすごく少ないし、それがバンド単位になるともうほとんどいない。また、ロックやソウル、ファンクなどポピュラー・ミュージックにおけるブル−ズの重要性は若い人達も音楽雑誌などで何となく知っているが、その根幹を探究しようという動きにはならない。音楽をやるという認識が私などとはまったく違うのでしょう。私がウエストロードでデビューした頃に大きなブルース・ム−ヴメントが日本にも起こり、ブルースの道を辿ったミュージシャンもかなりの数いました。しかし、パンク、テクノの時代を迎えて以後、ブルースのムーヴメントは日本に生まれていない。80年代始めにスティ−ビ−・レイボ−ンやロバ−ト・クレイといったブルース界の新人がアメリカから登場した時、彼等のアルバムは売れ、来日コンサートも満杯になり、確かにブルースにスポット・ライトは当ったがムーヴメントにはならなかった。日本からブルースを目指す若いミュージシャンは出なかった。アメリカではあの動きの後、レイボ−ンなどはひとつのジャンルにさえなった感があり、たくさんのレイボ−ン・フォロワーを生んだ。しかし、日本からは何も出なかった。貧困な土壌の上にきれいな花は咲かない。バックボーンをしっかり持ったミュージシャンがどんどんいなくなり、はっきり言えばアマチュアでもすぐ入り込めるのが日本の音楽だ。つまり土台なしで、大工さんじゃなくて素人が一挙に家建てるみたいなものだから、深い感動を得るものは出て来ない。みんな同じようなチープな建て売り住宅だから、作る曲も同じようなものしか出て来ない。でも、武道館でコンサートできるようになったら、もう天下取ったみたいな気持ちになってるから、自分の音楽に何が足らないかなんて考えないと思う。向こうのミュージシャンはテビュー前にブル−ズを自分の中に仕込み、プロになってからもブルース回帰を何度も繰り返す人がたくさんいる。彼等はブルーズの大きな山を掘り起こせば、自分にとってまだまだ魅力的な音の金塊がたくさん埋まっていることを知ってるからだ。あのマイルス・ディヴィスだって進む道に光が見えなくなると、ちょっと休んでB.B.キングやマディ・ウォーターズをクラブに聴きに出かけていた。それは自分がどこから来たのかという再確認とブルーズを訪ねれば、そこに進む道を示した光がいくつも見えるからだろう。
音楽の成り立ちというか、土壌も音楽を製作する構造も日本と米英ではまったく違う。米英ではブルーズは特別なものではなく、プロならどういうものか知っていて、そしてプレイ出来て当然の根幹となる音楽だ。そこの根底が変わらない限り、今回も去年ブルース・イヤーで盛り上がったアメリカのようにはならないだろう。ただ、映画やアルバムやDVDの公開が少しでもブルーズに対する認識を深めてもらうことに繋がるなら・・と、私も微力ながら協力している。そして、そこからブルーズの素晴らしさを知り、自分の音楽をしっかり見つめ、作る若い人達が現われてくれれば・・と思っている。過度な期待はしていないが、絶望しているわけでもない。」
と、まあこんなことを言ったのですが、文面のニュアンスは違ってました。まあ、電話インタビューで文字として残すことが出来なかったので、本来なら私が掲載される文をチェックしたいと言うべきだったのでしょうね。ちょっと油断したミステイクでした。
その内雑誌「アエラ」にも別の電話インタビューの記事が出るはずですが、大丈夫かなぁ〜。

2004年4月13日(火)
PHOTOGRAPH に[ PHOTO DIARY ] 追加!!

感謝!WestRoad BluesBand 30周年記念ライヴツアー大盛況!

三重県伊賀上野市での「ブルース伊賀の乱」のイベントも含め、わずか3日間のウエストロードの30周年記念ライヴでしたが、多くの方々に来ていただき心から感謝しています。
我々メンバーにとって音楽を始めた起点がウエストロードだったので、各々5人のメンバーの音楽生活もそれぞれ30年を迎えたということです。多くの素晴らしいアルバムとの出会いや、影響を受けたいくつもの外タレのコンサート、映画や本から授かった音楽の恩恵、72年のB.B.キングの前座とセッションの体験、才能と意のある日本のバンド、ミュージシャンとの出会い、ウエストロードの数え切れないほどのライヴとそこで出会った人達、ファースト・アルバムからニューヨークでのライヴ・レコーディングまでの残してきた音・・・想い出せばそういう光景や音が浮かんではくるが、今日を生きることに、つまり今日の音楽(ライヴ)のことに専心してきたため昔を懐かしんでる暇は私にはありませんでした。昔からいつも古い写真を取り出して見ているような生き方は嫌いなので、昨日のことより明日のことに頭がいってしまいます。
幸いメンバー5人はまだ生きており、それぞれ身体、脳ミソに多少の欠陥はあるものの周りから嫌がられるほど元気です。誰かが大金持ちになったわけではないし、それぞれ個人的なアップ・アンド・ダウンもありましたが、30年間常に好きな音楽とともに暮して来れたことは5人にとって一番の幸せでした。基本的に私達は30年前とほとんど変わっていません。いまでも会ったり、電話することがあると最近手に入れたアルバムやビデオの話と、観に行ったコンサートの話、ギターの話、どこかにツアーに行った話、そしてアホな話をしており、ゴルフや車や別荘の話はないし、蓄財まして投資の話などは一切ありません。縁がないと言うべきかも知れません。
ああ、宝くじの話は時々出ますが。それ以外といえばやや健康関係の話が増えたことぐらいでしょう。
今回の3ケ所のライヴは緊張とリラックスのいいバランスの中、すごくいい演奏だったと思います。ひょっとするといちばん楽しんだのは私達5人だったかも知れません。いつになるかわかりませんが、次はもっといいライヴになると思います。では、詳細はMy Noteを御覧ください。最後に「ウエストは忘れた頃にやってくる」


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