2006年6月30日(金)
明日(7/1土)のNHK教育/デジタル教育1で、午後10:00〜午後11:30にETV特集「楽都はふたたび歌う〜ニューオーリンズ・不屈のミュージシャンたち〜」が放映されます。朋友の山岸潤史が登場しますので、みなさん是非御覧ください。
内容は「去年ハリケーンで被災したニューオリンズ。音楽の源流を生み出してきたローワーナインスワード地区の復興を願い、再び音楽を奏で始めたミュージシャンたちの姿をみつめる。」というものです。


MY NOTES -[DIARY]更新!!
PHOTO DIARY -[DIARY 2006/6月某日]追加!!

2006年6月28日(水)
MY NOTES -[My Feeling For The Blues]追加!!
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2006年6月27日(火)
MY NOTES -[DIARY]更新!!
PHOTO DIARY -[DIARY 2006/6月某日]追加!!

2006年6月26日(月)
GOOOOD NEWS!!
私が監修をしている月刊漫画誌「アフタヌーン」(講談社)の「俺と悪魔のブルース」(平本アキラ作)が台湾の「BANG」という雑誌に掲載されることになった。
伝説のブルーズマン、ロバート・ジョンソンをデフォルメして描いた異色作の「俺と悪魔のブルース」は各方面で評判になっており、一部タワー・レコードなどにも置いてあるが、いよいよ7月末に単行本の第3巻が発売される。今回の巻末解説は「スウィンギング・バッパーズ」の吾妻光良が担当している。彼の軽妙洒脱な文とともに楽しんでください。


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2006年6月21日(水)
MY NOTES -[DIARY]更新!!
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2006年6月16日(金)
SCHEDULE 訂正
7/7(金) 豊田 バンボラ /問:042-586-2018
     (チッコ相馬dr、大西真b、上村秀右g 永井“ホトケ”隆vo&g)
7/29(土)名古屋 CROSSROAD 7 /問:090-3550-4896 天野まで
     塩次伸二g&木下和彦g  ゲスト:永井“ホトケ”隆


2006年6月15日(木)
訃報
ベースの青木智仁君が49才という若さで亡くなった。私がギターの浅野君から連絡を受けたのは亡くなった6/12(月)の夜8時過ぎだった。「ベースの青木さんが亡くなったらしいんですよ」と電話してくれた浅野君に「えっ?ベースの青木って青木智仁?ウソだろう・・・・なんで?」と、私は俄には信じられなかった。その後、いろんな友人、知人に連絡しても返ってくる言葉はやはり私と同じで皆「信じられない」「ウソでしょう」というものだった。その12日眠るまで私はまだその情報を完全には信用していなかった。しかし、翌13日再び浅野君からその情報は青木君の奥さんから出されたものに間違いないことが分かり、多方面からも同じような知らせをもらった。
そして、近藤房之助のマネージャーの古家氏からFAXでお通夜と葬儀の通知を受け取った時には、もう観念せざるを得なかった。
青木君とはたくさん想い出がある。本当に仲良くなったのは近藤房之助がバンマスとしてツアーをした「レバー・ブレイク・ツアー」だった。全国20カ所くらい回ったと思う。メンバーは青木智仁b,村上ポンタ秀一dr,山岸潤史g,佐山雅弘key,近藤房之助vo&gそして私の6人がレギュラーメンバーで、亡き大村憲司g、金子マリvo,ジョニ−吉長dr,小島良喜keyなどがゲストでやってきた。毎日大騒ぎのツアーでみんなが飲む酒の量もすごい量だった。それで房之助が「レバー・ブレイク」つまり「肝臓破り」と名付けた。打ち上げの1次会が終ると私はよく青木君とつるんで2軒目、3軒目と飲みに行った。OFFの日もホテルの部屋でぼーっとしていると青木君から電話が入り、「ホトケさん、何してるんですか?メシ食いがてら飲みに行きません?」とお誘いがあって、ふたりで夜の街に繰り出した。そのメンバーの中で私がいちばん話やすかったのか、本当によく飲み話した。そして、そのツアーが終ってからはJirokichiやブルーズアレイなどで彼と盛んにセッションをした。そんな頃、Jirokichiのライブが終った後ちょうどジェイムズ・ブラウンが流れていて「ホトケさん、ジェイムズ・ブラウンの曲だけのライブをやりませんか?」と青木君が言い出した。それでできたのが「We Love JB」というセッションだった。「ビッグホーンズ・ビー」にも参加してもらったそのセッションで関西などにもツアーに行った。今年に入って青木君と会った時もまた「We Love JB」をやろうという話が出ていた。
私のソロ・アルバムにも参加してもらったこともあるし、彼のソロ「Experience」では房之助とデュオ・ヴォーカルで"Come On Come Over"を歌った。最近は一緒にやることが減っていたが、彼の動向はネットやライブハウスの告知でよく知っていた。
昨夜(14日夜)彼の故郷である湘南のお寺でお通夜がとり行われた。お通夜に出かける前、アメリカをツアー中の山岸潤史からも信じられないという電話が入った。私は小田急線で藤沢に着きそこから江ノ電に乗ってお寺のある腰越まで行った。以前から乗りたかった江ノ電にこんな形で乗ることになるとは思わなかった。遠くから海の匂いがして、線路脇には紫陽花が咲きゆったりとした風景が続いていた。こういういいところで彼は育ったのか・・・と、少しだが彼が生まれ育った場所を知れてよかった。
そして「でも、僕、湘南生まれなんだけど泳げない湘南ボーイなんですよ」と、青木君が笑いながら言っていたことを思い出した。
お寺にはたくさんの人が集まり、青木君のアルバムからの曲が静かに流れていた。アルバム、見覚えのあるベースが飾ってあった。花でいっぱいの祭壇には青木君の大きな写真が祭られていた。参列した知人たちは異口同音に「どうして亡くなったのか?どこか身体が悪かったのか?」と言っていたが、私も急性心不全で自宅で倒れてそのまま亡くなったとしか聞かされていない。
彼の体調が悪いなんていう話は聞いていなかったし、会う時はいつも私より元気な感じだった。
焼香する際に奥さんと目が合って、奥さんがお礼をされるなり涙をこぼされたのがつらかった。隣にいた青木君の愛娘さんはもう目がはれるほど泣きつづけられていた。
昔、2度ほど会ったことのある娘さんはすっかり大きくなられていた。お寺を去る前に最後に柩の中にいる青木君の顔を見て、私は顔を近づけたが「ありがとう」という言葉しか出なかった。
過去、たくさんの人たちがいろんな場所で青木君のプレイを聴いてきただろう。いろんなミュージシャンのアルバムにも参加しているし、自分のソロ・アルバムもたくさんあり彼のプレイはこれからも聴き続けられると思う。でも、もうライブはない。
もう彼の生の音は聴けない。生前、彼は「一生、ライブ・ミュージシャンとしてやっていきたい」と私に言ったことがある。私もそうだ。歌いながら死ねないものかと思うことがある。ミュージシャンにとって最も大切なのはライブだと私は考えている。
みなさんも自分の好きなミュージシャンの音を出来る限り生で聴いてください。そこで生まれた1度きりの音をしっかり胸の中に残して、一緒に歌い、踊り、叫び、手拍子して自分の気持ちを解放してください。
お寺から一緒に帰った亡き大村憲司さんの奥さん聖子さんは「青木君、あっちで憲司といっしょに演ってるでしょう」と言っておられた。そう言えば憲司さんのお通夜の時、大泣きしていた青木君だった。少し出てきた夜風の中、再び江ノ電に揺られて藤沢に戻った。また、近いうちにゆっくりこの青木君の故郷を訪ねてみようと思いながら・・・。
青木君の御冥福をお祈りします。


SCHEDULE [2006年7月]更新!!

2006年6月14日(水)
MY NOTES -[DIARY]更新!!
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2006年6月12日(月)
「伝エルモア・ジェイムズ、ギタ−に削られた命」(スティーヴ・フランツ著、西垣浩二訳/ブルース・インターアクションズ刊 5,000円)原題は"The Amazing Secret History Of Elmore James"
偉大なるブルーズマンであり、スライド・ギタリストとしても過去多くのギタリストたちに絶賛されてきたエルモア・ジェイムズの伝記本が届いた。限定本ということで1ヶ月ほど前にハガキを出して予約しておいたのが、予定より早く手元に来た。かなりぶ厚い本でこれは読み応えがある。
エルモアのビジュアル的なものは写真しかなく、フィルムはない。その写真もたくさんあるわけではなく、いつも同じような写真が使われている。また、インタビューらしきものもほとんどなくエルモアはその圧倒的なスライドの音に包まれた謎の人物だった。写真ではいつもスーツにネクタイをちゃんとして紳士然としている。顔は理知的で"It Hurts Me Too"や"The Sky Is Crying"など素晴らしい詞を書いたのがなんとなく納得できる。しかし、この真面目そうな、紳士的な男とあの火を吹くような、破壊的とも思えるスライド・ギターがちょっとすぐには結びつかない。その不思議さや彼の書いた思慮深い詞がどんな風に生まれてきたのか、またロバート・ジョンソンからの影響、そしてサニー・ボーイやウルフとの交流やサックスのJ.T.ブラウンやピアノのジョニ−・ジョ−ンズなど自己のブルーム・ダスターズのことなどが、この本でどのくらい解き明かされるのか楽しみだ。しかも、しかも最後に54年に発売された"Flair"レーベルと同じデザインの45回転シングルがオマケで付いている。しかも、しかも、曲が"Standing At The Crossroads"だ。マイッタ!
この本の中にある1953年頃のシカゴの通りをそぞろ歩くエルモア、サニーボーイ、リトル・ウォルター、トミー・マクレナンの4人の写真を見ただけで、心踊る私はやはりブルーズ馬鹿か・・・。グラビア・アイドルなんか見ても全然心は踊らない!!
エルモアだ!よし!いまからエルモア聴こっと!ジャジャジャ、ジャジャジャ、ジャジャジャ、ジャジャジャ、ジャジャ〜ン!ガッガッガッガ・・。
限定本ということなのでタワレコなんかで売られるのかどうか不明ですが、見つけたら即買い!ですよ。家宝ですよ、家宝。
問い合せ:ブルース・インターアクションズ 
TEL /03-5770-5003 
http://www.bls-act.co.jp


PHOTO GRAPH -[伝エルモア・ジェイムズ、ギタ−に削られた命]追加!!


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