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「秋の夜に大人の女の歌とギター」/Bonnie Raitt Live In Germany 1992(IMMORTAL IMM940230)

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ボニー・レイットの1992年のドイツでのライヴDVD。
会場はそれほど大きくない。大袈裟な演出も最近流行りのサプライズとやらもなく、派手なアクションや見せびらかしのテクニック披露もしない、さりげなく深い演奏が淡々と続いていく。
1989年に"Nick Of Time"が大ヒットしてから3年後のライヴなので"Nick Of Time"の曲を中心にしたライヴだ。こうしてライヴで聴いてもあのアルバムはいい曲揃いだった。
4曲目に歌われる"I Can't Make You Love Me"・・・・その辺の小娘には出せない、揺るぎない生き方をした大人の女性しか出せない情感。さらりとした表現だが奥は深い。「ああ、いい声だなぁ・・いい女だなぁ・・・」と聞き惚れ、見とれてしまった。

6曲目の"Kokomo"ブルーズの師匠であり、スライドの師匠であるフレッド・マクダウエルの曲。身に染み付いたブルーズ・フィーリングがじわっと出てくる。若い頃に培ったブルーズを柱とした彼女の音楽性がしっかり根ざしているのがわかる。
自分の声がブルーズ向きでないとインタビューで言ってましたが、いやいやそんなことはないです。とてもブルージーですよ、ボニーさん。がなるように、やたらパワフルさを強調して歌うだけがブルーズ・シンギングではないと思います。
スライド・ギターに至ってはもう、他の誰も弾けない、彼女しか弾けないフィールドを作ってしまってます。

そして、オリジナルをやっても、ブルーズのカヴァー曲をやっても差がない、違和感がないのはやはり自分のルーツを忘れてないからでしょう。
彼女の歌を自然に支えるバンドもすごくいいです。
"Nick Of Time"が大ヒットしたあと来日した時のステージで、「自分のバンドでまた日本に来れてよかった」と嬉しそうに語った彼女。一時はバンドがなくてひとりでコーヒー・ハウス、小さなクラブを転々と旅していた。
ブロードウェイのスターである父親をもつお嬢さんなのに、高校生でブルーズ好きになってしまってフレッド・マクダウエルに弟子入り状態になってしまったヒップな女性。
なかなかヒットに恵まれず大ヒットは"Nick Of Time"まで待たなければならなかった。
でも、陽が当たっても雨に打たれてもずっとギター片手に旅してきた筋金入りです。

来日して欲しい女性シンガーのNo.1!
そして、一生ないだろうけど・・・・・、一緒に酒を飲みたい女性シンガーNo.1!
さぁ、もう1回見るか。

偉大なレコーディング・エンジニア&スタジオ経営者のストーリー・アルバム

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『ザ・コジモ・マタッサ・ストーリー』(PROPER BOX 129)

1950年代、ニューオリンズからいくつものR&B,R&Rの名曲が生み出されたが、その生みの親のひとりが当時ニューオリンズでスタジオを経営し、エンジニアでもあったコジモ・マタッサ。そのコジモが録音した数々のヒット曲、名曲をコンピレーションしたアルバム4枚組。
その曲目とミュージシャン名を見ただけで「いゃ〜、すごいなぁ」とため息が出た。

音楽があふれるニューオリンズで生まれ育ったコジモは、大学をドロップ・アウトしてブラブラしていたところ父親から「働くか軍隊に行け」と言われて、ジュークボックスやレコードを販売する仕事を始める。当時、ニューオリンズにはレコーディング・スタジオがなく、素晴らしいミュージシャンがたくさんいるのにみんなよその街にレコーディングに行っていた。そこで音楽になかなかいい耳をもっていたコジモは、「儲かるんとちゃうか」とスタジオを経営し始める。
その名がJ&Mスタジオ。最初はぱっとしなかったけれど、ロイ・ブラウンというブルーズ・シンガーがJ&Mで録音した"Good Rockin' Tonight"(タイトルが最高!)が1947年に大ヒットして、次第にスタジオの名前が知られていく。
その後、ファッツ・ドミノ、ロイド・ブライス、ギター・スリムなどJ&Mで録音したミュージシャンが次々にヒットを出して、50年代半ばにリトル・リチャードが放った数々のR&RによってニューオリンズのJ&Mスタジオとエンジニアのゴシモ・マタッサの名前は決定的に知られることになる。そして、インペリアル、アトランティック、スペシャルティなど全米のレコード会社がJ&Mスタジオでの録音を求めて来た。
この初中期にニューオリンズ・サウンドのプロデューサーとして腕をふるい、ミュージシャンとレコード会社の間に立って交渉もしたのがディヴ・バーソロミュー(のちにその役割を受け継いだのが現在もニューオリンズのプロデューサーとして活躍しているアラン・トゥーサン)。
50年代のニューオリンズ・サウンドの栄光というのは、コジモ・マタッサ(エンジニア)+ディヴ・バーソロミュー(プロデューサー)のふたりと、アール・パーマー、リー・アレン、フランク・フィールズなどニューオリンズの優れたミュージシャンたちによって作られていった。
J&Mはのちに移転してコジモ・スタジオと名前を変えたが、コジモはレコーディングに関して創意工夫し、R&BやR&Rの斬新なサウンドの誕生に大きな功績を残し、その名前は海を越えて海外にまで知られるようになった。
コジモは業界から引退したもののまだ健在で、このアルバムのブックレットにも好々爺となった彼の最近の写真が収められている。

このコジモからヒットを出して世に出たミュージシャンの名前をざっと挙げてみよう。ファッツ・ドミノ、ギター・スリム、リトル・リチャード、シャリー&リー、ロイド・プライス、スマイリー・ルイス、プロフェッサー・ロングヘア、アール・キング、アート・ネヴィル・・・と、歴史に名前の残るミュージシャンばかりだ。
新しい音楽が生まれ、育っていく輝かしい録音の日々がこの4枚に収められている。
そして、製作するお金だけではなく、ミュージシャンとプロデューサーとレコーディング・エンジニアの才能と努力と工夫なくして名曲は生まれないし、ヒットもしないという見本のような『ザ・コジモ・マタッサ・ストーリー』でした。お薦めのコンピレーションです。プレゼントしてくれたニューオリンズの山岸潤史に感謝。

ジャケット写真とコジモさんの写真と、もうひとつなぜかリトル・リチャードがブランコに乗ってる写真(やはりおネエ系のムードがどことなく漂ったイカシた1枚)です。

October 05, 2011

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我ブルーズ・ザ・ブッチャーの新しいアルバム"Voodoo Music"がリリースされました。そして、レコード店に行きアルバムを1枚買いました。いつも発売日にはレコード店に行って記念に自分のアルバムを買うことが恒例になってます。そして、知らなかったのですが、おまけに「Japan/The Blues/Today!」というステッカーが付いてました。
ブルーズが好きになって40年近い歳月が流れましたが、いまもこうして新しいアルバムが出せることに感謝しています。
そして、アルバムを手にして初めてアルバムを出した時のような初々しい喜びをいまも感じている自分です。

『THANKS』
今回、ブルーズ・ザ・ブッチャーのレコーディング・エンジニアを初めてやってくれたウッチー(内田直之)、ありがとう!  2日間で14曲はきついよね。正直、僕もきつい・・・。ウッチーなくして今回のアルバムはなかったと思ってます。Great Soundをありがとう。

アルバムのジャケット写真からデザインそしてロゴまで作っていだたいた菅原一剛さんには、いつもながらお礼の言葉もないくらいお世話になりました。また、お忙しいのに自分たちのツアー先に写真を撮りに来ていただきありがとうございます。アルバムにたくさん使われている石巻の写真はライヴ写真というだけでなく、私たちに2011年という年を強く記憶させるものになりました。

コーラスに参加していただいたLeyonaさん、ありがとう。スタジオに遊びに来てもらったのにギャラのことも言わず、みんなで「レヨナ、コーラス、コーラス・・」と有無を言わさず歌わせてしまいました。まあ、ブルーズ・ザ・ブッチャーのライヴや録音に来るということは、歌う羽目になるということで・・・ひとつ、これからもParty Girlでよろしくお願いします。

すべての楽器テクのキビシ君、いつもありがとう。ライヴの折、キビシ君がギターの持ち替えをかっこよく、スムーズにやるための方法を教えてくれたのに、いまだにギター・チェンジがぎこちない私で申し訳ない。ピックの置き皿も作ってくれてありがとう。

ギター・テクのクボちゃん、来てもらうと本当に助かります。来てくれるとギターを弾くことだけ考えればいいので楽です。そして、キビシくんと同じようにプロの仕事というのをいつも感じさせてもらってます。今年のフジロックはウッチー+キビシくん+クボちゃん=鉄壁の布陣 でした。また、予期せぬ時に「あっ、クボちゃんだ・・・」と登場してください。

大阪の森(俊樹)君はデュオでライヴをやっているだけでなく、ギターについてわからないことがあるといつも教えてもらっている先生でもあります。ありがとうございます。そして、マディ・ウォーターズ・モデル/テレキャスターもこの間のギブソンのアコギも森君なくしてはゲットできなかったものです。

P-Vine Recordsのみなさま、いつもありがとうございます。AKBだ、韓流ポップだと言っている世にブルーズ・ザ・ブッチャーのアルバムを出す男気のあるレーベルは貴社しかありません。素晴らしいVoodoo Musicであるブルーズをいまの世に広めるためにがんばりましょう。

すべての始まりを作ってくれたブッチャー(故浅野祥之)に感謝。また新しいアルバムが出せました。たぶん、歯がゆい想いで私のギターを聴いていると思います。精進します。

そして、いつもライヴに来てくれるみなさん、そしてこの新しいアルバムをゲットしていただいたみなさん、ありがとうございます!
いつも言っていることですが、みなさんが楽しんでくれている顔を見るのがいちばん嬉しく、それがブルーズを歌い続けそしてブルーズ・ザ・ブッチャーを続ける大きな力になっています。これからも一緒にグルーヴしましょう。
そして、今年はスキップ・ジェイムズの"Hard Time Killin' Floor Blues"が頭に流れるような大変な一年になりました。そんな中、自分の音楽が何かの力になれるなどと大層なことは思っていません。でも、このアルバムそして自分たちのライヴがみなさんのブルー(憂鬱)を吹き飛ばし、ひとときですが楽しい時間を持てるささやかな力はあると信じてます。そして、一夜の酒やダンスや恋の御供になればとも思います。恋・・・?  11月からはぞっとするような長い、だけど楽しみなアルバム・リリースツアーが始まります。どこかでお会いしましょう。 Hey! Hey! The Blues Is Alright!       永井ホトケ隆

秋晴れの午後にブルーズからレゲエへ〜Feelin' Good

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"JUMPING THE SHUFFLE BLUES/JAMAICAN SOUND SYSTEM CLASSICS 1946-1960"(FANTASTIC VOYAGE FVTD087)

"This Is Reggae Music"(Island Records 9237 9251)

僕はジャマイカの音楽についてあまり詳しくはないのだが、このアルバム"JUMPING THE SHUFFLE BLUES/JAMAICAN SOUND SYSTEM CLASSICS 1946-1960"はスカやロックステディ、そしてレゲエといったジャマイカの音楽の誕生に影響を与えたアメリカのブルーズ、リズム&ブルーズのコンピレーションだ。アルバムの解説にはジャマイカのサウンド・システムの始まりと発展、アメリカ南部のラジオから流れてくる音楽の影響、ジャマイカのレコード会社の始まり、そしてスカの誕生などが書いてあり勉強させてもらった。
僕がこのアルバムを手にしたのはメイン・タイトルが"JUMPING THE SHUFFLE BLUES"だったからだが、下の方に"JAMAICAN SOUND SYSTEM CLASSICS 1946-1960"というのがまた興味をそそった。というのも、ボブ・マーリーやジミー・クリフなどのレゲエが流行り始めた70年代初中期、もちろん僕はブルーズ、リズム&ブルーズをはじめとするブラック・ミュージックにどっぷり浸かっていたのだが、何故かレゲエはすんなり体に入ってきた。まずリズムにまったく違和感がなかったことがいちばんだった。もちろん、歌詞やメロディの素晴らしさもあったし、ソウル・ミュージック的なコーラスの付け方も好きになった理由のひとつだ。

先日もレゲエに超詳しいウッチー(内田直之)と話していたら、ブルーズのシャッフルの裏のビートを極端に強調することからスカのリズムが生まれたことが話題になった。でも、スカのテンポが踊るのに早くて暑いジャマイカではみんなしんどくなって、ゆったりしたレゲエのビートに移っていったというのは面白かった。今度、ウッチーとブルーズとレゲエの関係性をゆっくり話したいと思っている。

余談だが、結局、僕にとってレゲエはボブ・マーリーに尽きる。シンガー・ソングライターとしてもパフォーマーとしても、そしてミュージシャンの姿勢としてもレゲエの中では彼がいちばん。そして、心に残っている1979年の来日コンサート。過去聴いたコンサートのベスト5に入るとんでもなく素晴らしいライヴだった。そして素晴らしい体験だった。
それからいろいろ聴いてみたけれど、レゲエはダンスホール・レゲエになったあたりからはほとんど聴かなくなってしまった(かなり昔だが)。
そう言えば、何年か前に某レコード店のプロモーション・テレビの横にレゲエ・ダンスってキャプションがあったので、いまのレゲエはどんなんだろう・・・と思って見てみたら、ムチムチのお姉ちゃんがセクシーダンスをエロっぽく踊っているだけのことで、流れてくる音楽にも私の思うレゲエなんぞカケラもなくバカにされたみたいですごくむかついた。

この"JUMPING THE SHUFFLE BLUES"はアメリカの1950年代を中心としたブラック・ミュージックのコンピだが、この編集がなかなかに秀逸。ジャンプ・ブルーズからファンキーそしてスウィートR&Bまでジャマイカンはセンスがいい。CD3枚組全85曲。ロウエル・ファルソン、ロスコー・ゴードン、ファッツ・ドミノ、シャリー&リー、ジョニー・エース、スマイリー・ルイス、デイヴ・バーソロミュー、T.ボーン・ウォーカー、B.B.KIng・・・・・・etc。見つけたらゲットのお薦めアルバムです。

それで久しぶりに懐かしいレゲエ・レコード盤を引っ張り出して聴いてみた。1974年リリースのレゲエ・コピレーション"This Is Reggae Music"(アイランド・レコード)。「ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ」がまだ「ザ・ウェイラーズ」の頃で"I Shot The Sheriff"はやっぱり衝撃的だった。ヘプトーンズやメイタルズも好きだったなぁ。素朴な中にスウィートさがあり、でも歌っていることはハード。
秋晴れの午後にブルーズからレゲエへ〜気持ちいい・・・

あと1週間

September 27.2011
渋谷P-Vine Recordsにてタカちゃん(沼澤尚)、ウッチー(内田直之)とblues&soul誌の座談。新しいアルバム・リリースに向けての話だったが、ウッチーからはサウンドに対する深い考察を聞かせてもらい、タカちゃんからはいろんなドラマーの音の出し方の妙を教えてもらった。どのくらい掲載されるかわからないが、次号のblues&soul誌をお楽しみに。僕?僕はただ茶茶入れてました。お茶は入れてません。
それで担当の井村くんから出来上がった新しいアルバム・サンプルをいただきました。思わずニンマリ。10/5の発売まであと一週間ほどですが、たくさんの方に聴いていただきたい。10/21のJIROKICHIでのリリース・ライヴでもアルバムを販売しますが、それ以前にレコード店で買われた方にもサインしますので10/21当日アルバムを持ってライヴにお越しください。

いまも変わらず素晴らしいビル・ウィザース

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Still Bill/Bill Withers(docuramafilms DVD)

涙ものの映像だった。80年代半ばからミュージック・シーンの表舞台からほぼ引退しているようなビル・ウィザースのDVDだ。なかなか日本で入手できなかったので、先日日本に帰ってきた山岸におみやげに持ってきてもらった。

素晴らしいシンガー&ソングライターであるビル・ウィザースを知ったのは、初めてアメリカへ行った70年代半ばだった。ラジオからクール&ザ・ギャングやオージェイズに混じって、彼の"Lean On Me"や"Use Me"が時折流れてきた。ストレートで飾り気のない実直な歌声は、きらびやかな曲が続くソウル・ステーションの中でやたら心に残った。曲も詞も歌もサウンドも大袈裟なところがひとつもなく、ゴスペルやブルーズのシンプルさをどこかに持った私好みのものだった。
そして、ロスのレコード店で見つけたのが彼のカーネギー・ホールでの2枚組ライヴ盤"AT CARNEGIE HALL"だった。このアルバムは私の愛聴盤の中の愛聴盤だ。ほとんど持っている彼のアルバムの中でもいちばん好きなアルバムであり、たくさんある好きなライヴ盤の中でも5本指に入るライヴの1枚だ。ドラムのジェイムズ・ギャドソン、ベースのメルヴィン・ダンロップはじめビル・ウィザースのバックを務めるのにふさわしいクールで、グルーヴィな理解者たちに支えられてビルの歌が聴く人の心の芯にまで染み入ってくる。アルバム・ジャケットを見ると、カーネギー・ホールという大きなホールにも係らず、楽器を置いただけの簡素なステージの様子が写っている。それがすでにビル・ウィザースという人を物語っている。ステージ衣装もきらびやかなという言葉からは遠いものだ。それも彼が表現したい音楽と一致している。

思い返してみれば、日々の生活や家族や友達、そして弱者へのおもいやりを歌った彼の歌は、このDVDの中で語られる「音楽がすべてじゃないんだ」という彼の言葉と繋がっている。音楽と同じように大切なことはたくさんある・・・そう、私も思う。
元々、工場労働者だった彼が慎ましい暮らしの中から、普通の人間の視点で作ったのが彼の音楽だった。デビューが32才。最初は自分で歌うつもりではなく、誰かに歌ってもらおうとソング・ライターを目指していたという話から、派手な表舞台も元々は苦手だったのだろう。
そして、70年代の終わり頃から、ショー・ビジネスの中で強いられる自分らしくないことに彼は耐えられなかったし、逆に彼が要求していることをショー・ビジネス側は受け入れなかった。彼のような才能にあふれた人でも自分の思うようにはできないのかと少し驚いた。でも、彼は音楽を捨てたわけではなく、音楽を志している娘の録音をサポートしながら、その娘の歌声に涙してしまう。その涙は娘への想いと同時に音楽への想いだろう。
そして、子供の頃吃りだった彼は吃りの子供たちの歌声に心を揺さぶられてラウル・ミドンと録音を始める。
彼は自分の日々の暮らしの中で、そうやって音楽を続けている。
当たり前のことだが、華やかな場所にあるものだけが音楽ではない。 
華やかな場所から発せられた音楽ばかりが自分たちのところに否応なく届くような音楽シーンのシステムだが、そうではない場所で素晴らしい音楽を続けている人もたくさんいる。
ビル・ウィザースからもそういう場所からの音楽を届けてもらった気がする。

最後に晩年のコーネル・デュプリーのステージに上がり、"Grandma's Hands"を歌うシーンがある。
声は少しも衰えていなかった。変わらず誠実で温かい歌声・・・・・・いい曲・・・・涙。
彼の新しい曲を、新しいアルバムを待ちたいと思う。

是非このDVDを日本盤で出してもらってたくさんの人に観てもらいたい。

小さな一歩

September 23,2011 四谷「ブルーヒート」にてKOTEZくんとデュオ。
昔、亡き本田竹広さんと飲んでいる時に、本田さんがピアノとエレクトリック・ピアノは並んでいる音は同じでも弾く感触においてはまったく違う楽器だと言われたことがあった。アコギ(アコースティック・ギター)を手に入れてから嬉しくて毎日弾いているのだが、ふとその本田さんの言葉を想い出した。当然のことだがアコギにはアコギの深い世界がありそう簡単には使いこなせはしない。絃に触る指の感触も違うし、エレキと同じように弾いても出る音色も違う。歌っている心持ちも変わってくる。
でも、どんな音がライヴで鳴るのか、とにかくライヴで弾かないと私の場合何も始まらないので意を決して今夜はアコギ1本でやってみた。
最初、緊張して久しぶりに変な汗が出た。エレキと違って音量も音質もどんな風に客席に聞こえているのかわからず少し不安なままライヴ開始。しかし、アコギだと自然とダウンホームになるので、少し経つと演奏最中の気持ちもゆったりしていきエレキでは味わえない快感を味わった。そして、やっていくうちにダウンホームでありながらも、アグレッシヴさも持ちたいと技もないのに贅沢なことを考えだした。"Slow Down"などいい感じでやれた曲もあったが、ライトニンもジョン・リーも遥かに遠い。
ともあれ、自分としては夢みるカントリー・ブルーズマンへ小さな一歩を踏み出した夜だった。

Music Magazine 2011年10月号

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この前、ミュージック・マガジン誌から受けたインタビューが10月号に掲載されているので機会があれば読んでみてください。中村とうようさんの追悼が特集というのもなにかの縁か・・・・。ミュージック・マガジン誌を久しぶりにじっくり読んでみたが、本当に世の中には僕の知らない音楽がたくさんある。

うれしい!

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先日、聖蹟桜ヶ丘でコンサートがあった際、ギターのシュウ(上村秀右)に「この前さ、大阪でアコギ買ったんだ。66年のギブソンなんだけど・・・」と言ったら、「ええっ!買ったんですか。見たいなぁ」というのでデジカメにあった写真を見せた。
すると、「あれっ?ホトケサン、これってJ.B.ルノアーが持っていたのと同じやつじゃないですか?」
「えっ?そうかなぁ・・・・そういえば、J.B.ルノアーがアメリカン・フォーク・ブルーズ・フェスティバルの時に持っていたのに似てるなぁ」
それで、その夜、家に帰りそそくさとyoutubeで映像を確認すると・・・・・・・・・同じだ・・・・。同じ。
夜中に鳥肌。
Voodooの縁か・・・・Mojoのおかげか・・・。
もうすぐリリースされる今回のアルバム・タイトルが、J.B.ルノアーの"Voodoo Music"だし、前のアルバム・タイトルがやはりルノアーの"Mojo Boogie"だっただけに何か因縁のようなものを感じる。
とにかく、うれしい。ものすごくうれしい。
偶然、思いも寄らず、大好きな、敬愛するJ.B.ルノアーと同じギターがゲットできたことがうれしい。

やはり、亡き塩次伸二が言ったように「ギターは出会いだ」

そして、これは心してギターに、ブルーズに精進しろという天からの命令だと思うことにした。

そして、このギターを見つけてくれた大阪の森くんに感謝。今度、居酒屋おごるからね。

うれしい。

帯に短し、たすきに長し

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中古レコード屋巡りをしていて日本盤のブルーズ・アナログ・レコードを意図的に買う時がある。それは中に入っているライナー/解説がアルバムを聴く参考になることも多いし、以後アルバムを買う目安になる時もあるからだ(そうでない解説も多々あるが)。ちなみに歌詞カードは時折めちゃくちゃなのがあるのでご注意。
しかし、日本盤の左端についている帯(オビ)が僕は嫌いだ。買ったらすぐ捨てることにしている。あの帯がアルバム・ジャケットのデザインを台無しにしている。写真家やデザイナーの方がせっかく作ったジャケットをまるでぶちこわすかのようなあの帯。
ちなみに中古盤屋に売る時には帯がついている方が買い取り価格は高い。しかし、売ることを考えてアルバムを買うことは僕にはない。
写真を見ていただければわかるように帯がうざい。帯を取るとすっきり。中には帯を捨てないできれいに取って置いて売る時に再び付ける人もいるようだ。
帯があるのは日本だけなのだろうか。少なくともアメリカやイギリス盤では見たことがない。日本のレコード会社に言わせると帯は買うための目安となり、それで販売が促進されるそうだ。う〜ん、アルバムを買ってもらう立場としてはそう言われると仕方ないのかな・・・と思うが、アルバムジャケットも含めてひとつの作品だと考える僕は美的にどうも許せない。
先日、偶然見つけた映画「クロスロード」(1987年公開)のサントラ・アナログ日本盤。帯のキャッチを考えた方には申し訳ないが帯を捨てさせてもらった。やっぱりない方がいい。
これはライ・クーダーが音楽担当したなかなか面白い映画だった。しかし、ラストあたりで主人公の少年とスティーヴ・ヴァイのギター・バトルのシーンが出てくるのだが、それってブルーズ・バトルじゃなくてただのハードロック・ギターバトルだろうとイラついたのを覚えている。なんでステーヴ・ヴァイだったのか・・・アメリカには素晴らしいブルーズ・ギタリストたくさんいるのに。映画の観客動員を考えてヴァイになったのか・・・客が倍、倍、倍・・・。
でも、このサントラ盤にはライ・クーダーはじめ、ハーモニカのフランク・フロスト(我btbが演っているインスト"My Back Scratcher"のオリジナル・プレイヤー)、やはりハーモニカのサニー・テリー、ドラムにジム・ケルトナー、コーラスにデリー・エヴァンスとボビー・キングなど素晴らしいメンバーが参加している。ライのアレンジがややオーヴァー・アレンジと感じる曲もあるが、でもレコード屋で見つけたらゲット!の一枚だ。
帯の話から結局アルバムの話になってしまった。
「帯に短し、たすきに長し」中途半端な話でした・・・。