記事一覧

音放浪記/おっと!見つけた!Annisteen Allen嬢

ファイル 28-1.jpg

FUJIYAMA MAMA/Annisteen Allen(ReV-OlA CR BAND8)

7月某日、下北沢の中古レコード店のブルーズ・コーナーにてアニスティーン・アレンのコンピ"FUJIYAMA MAMA"を発見!即購入!
この日はホップ・ウィルソン、インペリアルのコンピ、ボ・カーターなどなかなか収穫の多い中古盤探索だった。
さて、タイトル曲の"FUJIYAMA MAMA"はブルーズ・ザ・ブッチャーとシーナ&鮎川君の先頃のライヴでシーナが歌っていた曲。
僕は鮎川君が作ってくれた音源とyou tubeでしか聴いたことがなかったのだが、とうとうアルバムをゲットした。しかも1000円だ。28曲も入っている。まあ、曲数が多ければよいというものでもないが、この28曲がすべて素晴らしい!
40年代半ばからラッキー・ミリンダー楽団の歌手として活躍を始めたアニスティーン・アレンはカテゴリーに分けるとジャンプ・ブルーズ・シンガーということになるのだろうが、R&Bシンガーとしてもジャズ・シンガーとしても通用する深みのあるシンガーだ。ほぼ同時代のダイナ・ワシントンやルース・ブラウン的な匂いもあり、まさに私好み。
アップテンポからスローまでどれも魅力的で、とくにスローの時の少し力が抜けた時の歌声が艶っぽい。
基本的に骨太のシンガーだが、がなるようなところがなくパワフルになっても荒れた声にならないところがいい。
と、まあ大絶賛なわけで買った日から毎日聴いている。

ところでタイトル曲の"FUJIYAMA MAMA"だが、歌詞をちゃんと聴いてみてちょっと驚いた。
「わたしゃ、広島、長崎でやったのと同じ様にあんたを吹き飛ばせるのよ。そうよ、わたしゃフジヤマ・ママ。わたしが爆発したら誰にも止められないからね・・・」と、広島、長崎の原爆投下がベースになっている歌詞だった。
これをオリジナルのアニスティーン・アレンよりヒットさせたのは白人の女性歌手ワンダ・ジャクソン。
僕はよく知らないのですが、このワンダ・ジャクソンはロカビリーの女王という呼び名もあり、かなり有名らしい。そして、上に書いたような歌詞にもかかわらず被爆した日本でもヒットしてシングル盤も発売されてワンダさんは来日もしている。来日時にこの曲を歌ったかどうかは定かではない。当時の日本の歌手によるカヴァーもリリースされたらしい。you tubeでは細野晴臣氏がカヴァーしている映像があった。
私見では戦勝国アメリカでは日本をやっつけたという気持ちもどこかにあってのヒットだと思われる。
作詞した人は「私はめっちゃ強い女なのよ」という意味あいを出すために広島、長崎・・・と言う歌詞を出したのかも知れないし、メロディもグルーヴもいいので・・・う〜ん、でもなぁ、頭の堅い僕にはまったく抵抗がない・・とは言えないかな。

でも、このアニスティーン・アレンのアルバムは見つけたら迷わずゲット!

「愛はどこにでも見つけられる(ギターにさえ)」

ファイル 27-1.jpg

Albert Collins/Love Can Be Found Anywhere(even in a guitar)     (Imperial Lp-12428)
このアルバート・コリンズのアルバムには過去中古盤屋で何度か遭遇してきた。気にはなっていたが、その度に「これって、コリンズの決定盤というほどのアルバムでもないしなぁ・・・・・・まっ、いいか」とパスしてきた。
しかし、この日はあまり欲しいアルバムがなくて先のグラント・グリーンのアルバムだけをゲットしていた。そこにこのアルバムが現れた。
値段をみると2500円。別に高額ではないのだが、普段ほとんどの中古盤を2000円以下でゲットしている自分にとってはやや高い。ちなみに先のグリーンのアルバムは800円だ。普段、酒にムダ金を使っているくせにこんな時にSave Moneyの気持ちが湧いてくる。
でも、「よし!今日は買うか!」と「清水の舞台」から飛び降りた。あまりに低すぎる「「清水の舞台」だが・・・・。
これもアナログ盤だが、60年代ウエストコーストの白人ブルーズバンド「キャンドヒート」のヴォーカル、あのおデブのボブ・ハイトがジャケット裏のライナーを書いている。
実はこのアルバム、そのボブ・ハイトがコリンズさんのプレイに惚れ込みインペリアル・レコードに売り込んだらしい。
全体的にファンク・テイストなのだが、先のグラント・グリーンに比べると「イナたい」。バックもイナたいがやはりテキサスから直送のブルーズマンであるコリンズのギターは、キレもコクもあるが・・・イナたい。でも、イナたい・ファンク・ブルーズ大集合みたいなアルバムでとても好感がもてる。
たぶん、ウエスト・コーストのヒッピー風の兄ちゃんがラリパッパで描いたであろうサイケ風のジャケットもGOODだ。
アルバム・タイトルもラヴ&ピースの当時の流れで「愛はどこにでも見つけられる(ギターにさえ)」だ。

「いまも古くない骨太のクロス・オーヴァー」

ファイル 26-1.jpg

Grant Green/Blue Breakbeats(Blue Note B1 7243 4 94705 1 4)

6月の初めにゲットしたアルバム。
中古レコード屋のブルーズのコーナーにまぎれ込んでいたジャズ・ファンクのギタリスト、グラント・グリーンのアルバム。アナログ・レコード盤。
まずタイトル"Blue Breakbeats"からして惹かれる。
70年代初頭のグリーンのアルバムから抜粋したコンピレーション・アルバムだが、やっはりこの時期、クロス・オーヴァーといわれた時代のこの手の音楽はいい。
その後、フュージョンになっていくと僕はこういう音楽から離れていくのだが、この時代の良質のクロス・オーヴァーはグルーヴが骨太で、インプロヴィゼーションのやりとりが巧みで、小賢しいセクションがなくていい。個々のソロが歌っていて歌がないけれど歌手の僕でも聴いていて飽きない。
参加メンバーもIdris Muhammad(dr) Chuck Rainey(b)Ronnie Foster(organ) Jimmy Lewis(b) Cornell Dupree(g) Gordon Edwards(b)Grady Tate(dr)・・・・・と、素晴らしい名手ばかり。
サンプリングもたくさんされているグラント・グリーンなのでそちらで「あっ、聴いたことある」と言う人も多いと思う。

グラント・グリーンは亡き塩次伸二が大好きなギタリストだった。

ちょうど初めてアメリカへ行った頃、クロス・オーヴァーのブームが起こり始めていろんなクラブでこういう強者たちのライヴを聴いた。マルガリータ飲みながら・・・・。
久しぶりにCTIレーベルを聴いてみようか。

石巻復興Tシャツ

ファイル 25-1.jpg

石巻のズーズー・シスターズのミータンから以下のような復興支援のお願いのメールが来ました。
みなさんもご支援のほどよろしくお願いします。
「先日、友人から連絡がありまして、仲間が石巻の復興Tシャツ「負げねど(負けないぜ)」を作っているそうです。
石巻河北新報にも掲載されました。(添付あり)
『自分達が生まれ育った故郷の為に、何か役に立ちたい』という思いで立ち上がった“青空ロングビーチクラブ”という復興支援チームです。
町の復興の為、家族の為に懸命に生きた友の意思を引き継ぎ、故郷の「長浜」から名付けられました。
復興Tシャツは、一枚1500円で、売上の半分が石巻に直接寄付されます。
代理店として、石巻駅前北通りの“文房具ナリサワ”が取り扱っております。
ネット販売はこちらです[↓]
http://reishinomaki.shop-pro.jp
私も購入させていただきました。
色々とご支援をしていただいているにも関わらず、厚かましいお願いかもしれませんが、拡散または、ご支援のほどを宜しくお願い致します」

Blues & Soul Records誌 100号

ファイル 24-1.jpg

Blues & Soul Records誌 100号
こちらに日暮さんの「ロバート・ジョンスンを読む」の読後感想を僕が書きましたので読んでみてください。
ロバート・ジョンスンは生誕100年、そしてこのBlues & Soul Records誌は100号。何かの因縁か。もちろん、特集は「あなたの知らないロバート・ジョンスン」と題するもの。ジョンスンに入門するのによいと思います。CDも付録でついてます。

「ロバート・ジョンスンを読む」(日暮泰文著 P-Vine Books ¥3800)

ファイル 23-1.jpg

「ロバート・ジョンスンを読む」(日暮泰文著 P-Vine Books ¥3800)
ロバート・ジョンソンが生まれて100年ということで、アメリカでは生誕100年に関したイベントなども行われているようだ。日本ではこれといった動きもないようだが、ここにロバート・ジョンソンに関する素晴らしい本が出版された。
P-Vine Recordsの創設者でもあり、音楽評論とくに黒人音楽に関しては深い研究と格別の見識のある日暮泰文さんが「ロバート・ジョンソンを読む」という素晴らしい本を上梓された。
この本の書評という偉そうなものではないが、書感といったものを私がBlues & Soul Records誌(ブルース・インター・アクションズ刊)の最新100号に書いたので、そちらを読んでいただきたい。
ロバート・ジョンソンはブルーズ史上最も重要なブルーズマンのひとりで、ブルーズを聞き始めた人は必ずジョンソンのブルーズを耳にすることになる。ローリング・ストーンズもクラプトンも・・・いや、いまのロック・ミュージックの根底にはずっとジョンソンのブルーズが眠っている。そして、いまもジョンソンのブルーズはブルーズのスタンダードとして歌い継がれている。色褪せない永遠の音楽だ。
僕のこのHPを訪ねてくれる人たちには、一度ゆっくりとロバート・ジョンソンを聞いてもらいたいと思う。
遥か1930年代の録音であり、彼ひとりの弾き語りであり、その音触りに慣れるのに少し時間がかかるかも知れないが何年か経ってから聴いてその素晴らしさに気づいた友達もいる。
たった29曲を録音に残し、27才という若さで毒殺され、悪魔に魂を売り渡してギターが上手くなったという謎の多いロバート・ジョンソン。
そのジョンソンを日暮さんは徹底的に解明しょうと長年に渡って調べあげ、とうとう一冊の素晴らしい本にされた。
世界にはロバート・ジョンソンの研究家といわれる人たちが何人もいて、彼に関する本も過去何冊か出されてきたが、これほどジョンソンの実像に迫ったものはなかった。
ロバート・ジョンソンを聴きながら、是非この「ロバート・ジョンソンを読む」を読んでみてください。

佐野〜いわき

ファイル 22-1.jpg

6/12(日)佐野 Bar Ken
お昼に石巻で川尻さんに用意していただいた昼食をいただいて、その後石巻のみんなに見送られて佐野に向かった。
佐野は盟友塩次伸二が心臓の発作に襲われて亡くなった街だ。その彼がライヴをやるはずだったお店"Bar Ken"に向かう。
佐野に着いた頃には少し雨が降り始めた。
伸ちゃんが倒れたホテルの前に来ると、あの日病院に運ばれたと連絡を受けてあわてて佐野に向かったことを想い出す。

雨の中、初めての佐野なのにたくさんの方に来ていただいた。
それにしてもめちゃ盛り上がりましたね。マスターからは「こんなにみんなが立ち上がって盛り上がったブルーズバンドは初めてです」と私たちにとっては最高の誉め言葉をもらった。
佐野のみなさん、また、行きます!Kenさん、よろしく!
この日は、以前Leyonaのマネージャーでいまは佐野で農業をやっている小山君も仲間を連れてきてくれた。
やはり原発の風評で被害を受けていたが、最近は元にもどりつつあるとのこと。終わってから久しぶりに一緒に飲めて楽しかった。また、飲みましょう!元気で。

6/13(月)いわき Bar Queen
Bar Queenのマスター加藤さんとは震災直後から何度か電話のやりとりをしていた。
いつも元気な加藤さんの声が、震災からは日によって元気がないように感じられたことが何度かあった。
今回のライヴも一度は中止にしょうかという話もあったが、加藤さんとお店の復帰が早く普段と変わらないようにやりましょうという加藤さんの提案でいつもどおりやることになった。
「でも、来てくださるお客さんは少ないですよ」と加藤さんは言われたが、ボクたちブルーズ・ザ・ブッチャーのメンバーはそんなこと関係なく加藤さんといわきの人たちに会いにいく気持ちだった。
お店に入っていくと「おはようございます!」というあの元気な加藤さんの声が聞こえた。

リハーサルが終わった頃にひとり青年が入ってきて、加藤さんが「おお、元気だったか」と何やら話し込んでいた。
あとから聞けば福島の原発で働いている青年だった。

そして、ホテルでテレビをつけると画面の上にテロップのように福島各地の放射線量が流れている。

そして、演奏後、残ったお客さんたち、加藤さん、お店のヒロミさんと飲みながら話したが、やはり原発のことはボクたちが思っているよりも遥かに重くいわきそして福島の人たちにのしかかっている。
避難区域として避難することを強制された方は自分の大好きなCDやレコードを置いたままだという。あんなビニール袋ひとつだけ渡されて必要な物を持って来いと言われて、一体何が持ってこれるというのだろう。はっきりしたデータも明確な方向性も示さないまま、避難という名目で住んでいたところから彼らを追い出している。何か目的があるのか。権力争いに迷走している政府や自己保身の東電が信用なんかできるわけがない。疑惑だらけだ。
放射線量はいわきや福島だけでない。東京でも風のむきによっては福島より多いときもあるという。福島の問題というわけではない。

今日(6/28)テレビを見ていたら、これから原発近くに住んでいた人たちの内部被爆量を量り始めるという。でも、その対象になっている人が「被爆しているってわかって、それでどうなるんだ」と言った。人間はその日その日を生きていかなければならない。仕事をして子供を育てなければならない。親の面倒もみなければいけない。食べて生きていかなければならない。たとえ、自分が内部被爆していたからと言ってそれをやめるわけにいかないだろうとその人は言いたかったのだ。その一言は重い。

ライヴはやはりお客さんは少なかったけど、そんなこと関係ない。みんなで踊って歌ってすごく楽しかった。
ひとり、おばあさんがいた。80才を過ぎておられる。ボクの母と同世代の方だ。その方は自分の家をなくしている。
人生を真面目に、ささやかに生きて来た人がいま80才を過ぎてすべてをなくしている。つらい。
Queenで夜中12時近く、少し酔っていた人が「ホテルへ帰るよ」と言って帰って行った。彼のいうホテルは避難所のことだ。そこに門限があるので帰ったのだった。
いわきの夜はホテルに帰っても眠れなかった。そのホテルに泊まっている人たちのほとんども原発関係で働くために全国から来ている。
遠くにいる人たちはテレビのニュースのひとつとしてしか実感はないかも知れないが、この狭い日本のいたるところにある原発のことを考えると福島のことは明日の自分たちのことだ。
ボクたちはいつもツアーをしていてこの日本という国の美しさをいろんなところで見ている。景色だけでなく、その土地のみなさんの美しい気持ちも知っている。その土地にある美味しいものも知っている。そのたくさんの美しさをすべて失ってしまうようなことをこれからも続けるのだろうか。

この夏、もし、あなたに夏休みがあったら東北へ行って欲しい。ボランティアでなくてもいい、旅行に行って欲しい。その土地のものを食べて飲んで、そしてそこに住む人たちと話しをして欲しい。

加藤さん、ヒロミさん、来てくださったみなさん、そして来たくても来れなかったみなさん、また会いましょう。
またいわきに行きます!いつでも呼んでください。
写真は加藤さん、ヒロミさんそして来て下さったお客さんです。

みーたんのメール

ファイル 21-1.jpg

先日6/11に石巻を訪ねた後に、ズーズー・シスターズのミータン(木村美恵子さん)からいただいたメールです。被災を受けたひとりとしての正直な気持ちが書かれているメールなのでここに紹介したいと思い、ご本人の承諾をいただきました。これ以前に彼女からは「瓦礫ばかりの町になってしまったけど、いつかまた故郷女川に戻ってきたい」というつらい胸の内を語ったメールもいただいてました。多分、彼女と同じ気持ちの方が東北にたくさんおられると思います。では、以下お読みください。写真は友達のアリコと歩いている時に偶然、自分の車を見つけたミータンです。車はダメになってしまったけど免許証や車検証、CD、お母さんの老眼鏡など残ってたものを持ち帰ったそうです。

『ホトケさん♪
先日は、有難うございました。
皆さんの演奏は、本当に楽しくて楽しくて3・11の事なんか忘れていました。
いまだに夢であって欲しいと思ってしまいます。
ラ・ストラーダ、ゼカナ、シャンブル、ズーズー、失った全てが歌っている時に一気に甦りました。

ライブ後の二次会は、当たり前の様にありましたが、今の被災地の現状では、難しいものだったと思います。
それもこれも皆さんが来ていただいた事と川尻さんの配慮によってなされた事にとても感謝致しました。

震災以来、戦争に行ったおじいさんの話しをよく思い出します。
小学生の私によく話してくれました。戦争の愚かさ。食べるものも飲み物もない、命の保証もない。

私達は、戦後を見たんだと思いました。
ただ、現代の復旧の早さは戦後にはないですね。
年齢的にリアルに戦争の体験談を聞く事もなくなっていく中、私達がこれを語りついでいかなけばいけないんだとも思います。
生命は地球を絶滅させない様になっているのかな〜?

フミト君は、災害後の町をそのまま残した方が良いと言っていました。
そうであってはいけないんですが、その気持ちは、よく分かります。
贅沢を続けた現代の残骸だからです。

明日、私達は、30年慣れ親しんだ女川を出ます。被災者の中ではない生活を始める事になります。
世間の言葉の節々に温度差を感じてしまう事がある現状、不安は多々あります。
実際、本当に出ていく事がいい事なのかは分かりません。
ただ、自立していく環境、色々踏まえて自分で出した結果です。
歩きださなければいけないのですね。

被災したお年寄り。これから老後をゆっくり自分の家で暮らすはずだったのを一瞬にして奪われてしまったショックははかりしれません。気持ちを考えると胸が痛んでどうしようもありません。
おそらく、母も同じです。女手ひとつで私達を育ててくれた母は、今でも強いです。
これからは、私達兄弟で支えていきます!
歳にふそくはないですからね。

母は、女川に戻りたい様な事を1度だけこぼしました。
それも踏まえて、今後頑張っていきたいと思います。

こういう被災地、被災者の言動をメッセージ性のあるホトケさんや皆様が、少しでも伝えていただける事が一番の願いです。

長々とすみません。
被災地は、まだまだこれからです。
今後とも宜しくお願い致します。』

「石巻祭り/Soul To Soul」2011.6.11

ファイル 20-1.jpgファイル 20-2.jpgファイル 20-3.jpg

6/10(金)
13時前の新幹線で出発。仙台に向かう。空はどんより曇り空。
仙台駅で遠く青森弘前から来てくれたFM・Apple Waveの徳差君と合流。
徳差君の車で僕の番組「BLUES POWER」がOn Airされている仙台のコミュニティFM「Radio3」に向かう。
震災で仙台駅の外壁が崩れたらしく補修しているところだったが、車から見る仙台の都心部の街並はあまり変わっていないように見える。
「Radio3」の世ノ介さんという方がDJをしている番組に出させていただき、"Mojo Boogie"をOn Airしていただき明日の石巻のイベントの告知もしていただいた。
そして、収録後石巻に車で向う。
あまり変わっていないと思っていた風景は仙台空港あたりに近づくと一変する。瓦礫が積まれている意外は津波に襲われて何もない。まだ冠水もしている。このあたりを襲った津波の映像はニュースで何度も見たが、本当になんにもない。
更に北へ向かう。

塩釜を経由して松島あたりを通った時、亡き浅野君と一緒に行った瑞巌寺という立派なお寺のことを想い出した。あのお寺は大丈夫だったのだろうか。

走っていた国道が石巻市内に入ったが、所々壁の崩れた家が見られるもののそれほどひどい被害は見受けられない。
石巻の駅まで徳差君に送っていただき、そこでいつも世話になっているシャンブルのギタリスト、フミトと待ち合わせをした。
震災後、ずっとメールや電話では連絡を取り合っていたがやはり元気な姿を見ると感無量だ。抱き合い体を叩きあった。
その石巻駅で車を乗り換える時に気づいたのが異臭がすることだった。風の向きや場所にもよるけどかなり異臭が漂うようになってきたとフミトが言う。
そして、車で石巻の街を回ってくれた。
信号がまだ復活していない。それでも僕がテレビのニュースなどから予想していたよりも瓦礫の片付けなどが進んでいるように思える。
それもここ2週間ばかりで地元の人たちががんばったからだそうだ。
ところが・・・・海に近くなっていくと道路1本を隔てて様相はがらりと変わる。
漁師さんたちの馴染みの美味しい食堂や知り合いの「木の屋石巻水産」があった魚町、門脇町、南浜町一帯はもうどこに何があったのかもわからないほどの壊滅状態だ。黒と灰色だけのその風景をずっと見ていると、気持ちの張りや心の潤いといったものがなくなってしまう。殺伐とした様相だ。呆然としてしまう。

地震と津波に襲われた時のことをフミトは「最初、2階から1階に落とされたような地震が来て、揺れが収まると足元にやってきた水がだんだん増えてきて津波が来るなと思ったら、海の方からバリバリバリバリっていう音と一緒に真っ黒な水が押し寄せてくるのが見えた。もうこの世の終わりかと思った」と振り返った。
その壊滅した地域に彼はいたのだが、バイクに乗っていた彼は急いで高台の方に逃げて助かった。その途中すでに信号が壊れて車の渋滞が始まり、津波が迫ってきているのに車から逃げれなかった人たちもたくさんいたという。幸い、フミトは子供も奥さんも無事だった。

夜、SADIというお店でフミトと飲んでいると石巻の友人たちが集まってきた。ベースのジュン、ドコモのマーボさん、ラストラーダの和田さん、木の屋石巻水産のタカユキさん・・・みんな生きていてよかった。みんな、フミトと同じで紙一重で助かっている。そして、みんなから震災の日の話や、避難所での生活、行政や政府の対応のまずさ、石巻のすぐ近くにある女川町の原発のことなどを聞いた。
その中でも腹立たしかったのは義援金がまだ彼らの手元に届いてないことだった。僕もわずかながら日赤を通して寄付させていただいたが、お金に困っている彼らのところに3ヶ月も前の義援金が届いてないとはどういうことだ。瓦礫の撤去から義援金まで行政と公的機関の対応のにぶさには驚くばかりだ。
その飲んでいる間に余震があった。もう、みんな慣れっこになっているのか「お、地震だ」と言ったのは僕だけだった。

その夜と翌日泊まったのは仲間の川尻さんが手配してくれた「マイルーム桂」というビジネスホテルだった。
夜中に東京を出発した沼澤君や佐藤タイジくんたちが朝方到着した音に目が覚めた。

6/11(土)
朝早く起きてシャワーを浴びた後、食堂でホテルのご夫妻と少し話をした。旦那さんは震災直後の津波、水の恐ろしさと冠水した町に浮かぶ遺体を地域の人たちと引き上げた大変な話をされた。奥様は避難所でカンパンと水をみんなで分け合ったことや、雪の降った寒い震災の日のことを想い出され、でも人の親切がとてもありがたかったと言われた。いま、このビジネスホテルに泊まっているのは関東、北海道、東北の他の町からやってきている復興の作業するための長期滞在の人たちだそうだ。みなさん、本当によくやっていただいてますとふたりは言われた。

お昼に写真家の菅原さんと青森博報堂の中野渡さんがホテルに迎えに来てくれて石巻の「FMラジオ石巻」へ向かう。この「FMラジオ石巻」でも僕の番組「BLUES POWER」のOn Airが始まっている。
出演させていただいた番組のアナウンサー武山さんはすごく感じのいい女性でした。石巻と僕とのつながりや、震災後の石巻について質問を受けた。そして、今夜のイベントの告知をさせていただいた。後から聞けば、武山さんもご自宅が津波で流されたそうだ。でも、武山さんはじめラジオ石巻のみなさんはすごくがんばって放送を続けている。
ラジオ石巻出演後、震災の一週間前ブルーズ・ザ・ブッチャーで演奏させてもらった「ゼカナ」のあった中瀬へ向かった。「ゼカナ」は旧北上川の河口からしばらく入ったところの中洲にあった。この中洲のあたりは中瀬と呼ばれている。
しかし、石ノ森萬画館は残っているが、「ゼカナ」が一体どこにあったのか・・・見る影もない。あたりは津波でほとんど流され、残っているのは瓦礫だけだ。川の水位が上がったようにみえるのは地盤が沈下したからだそうだ。
ぼぉ〜っとあたりの光景を見ている時に、ちょうど三ヶ月前の地震が起こった時間(3月11日14時46分)になったので黙祷した。そして、亡くなられた「ゼカナ」のオーナー遠藤さんに感謝した。「ゼカナ」・・・・素敵なスペースだった。
これから、ここの光景はどうなっていくんだろう。
いまはほとんどがなにもなくなり瓦礫が散乱している。それでも、川と小高い山と青い空がつくる風景は充分に素晴らしい。やはり、いいところだ。

今回のイベント「石巻祭り Soul To Soul」はかろうじてビルが残った「ラストラーダ」で行われた。最初、テレビニュースの画面で見た時はビルに船が突き刺さっていたが、いまは船も撤去されて中にPAと楽器を持ち込んでなんとか今日の開催となった。
ビルのすぐ横では仙台から来たメイちゃんを中心にズーズー・シスターズのみんなが炊き出しを始めていた。女川町にいて自宅を流されたミータンとは、ずっとメールで連絡を取り合っていたが久しぶりにその元気な笑顔をみることが出来た。アリコも会長もみんな生きててよかった。
タケトくんは石巻から仙台に移り住み仕事を始めている。家がなくなったミータンは故郷を離れて埼玉に住む事になるという。メイちゃんの仙台の家(実家は賣茶翁(ばいさおう)という和菓子の老舗をやっている)も地震の被害を受けている。みんな、これからの新しい生活を始めなければいけない。でも、今日はライヴで目一杯楽しみましょう。

夕刻、フミトの"Shamble"から演奏が始まった。そこにズーズーが加わっていつものソウル・ナンバーを歌っていく。いつものステージと違うのは衣装がなくて彼女たちが普段の服装なことだ。
ミータンは歌いながらずっと涙を流している。聴いている人たちにも泣いている人が何人もいる。
みんなと歌える幸せを感じながらも震災での悲しみや辛さがなくなるわけではない。でも、仲間がいて音楽があることがミータンだけでなくみんなの気持ちを支えている。
そこに震災以後、仲間だけでなく石巻の人たちを助け復興に尽力されている川尻さんが、チトリン・サーキットのサザン・ソウル・シンガーのような出で立ちで加わって歌う。武骨だけどいい歌だ。
そして、一段落つくと辻くんのパーカッションが始まった。僕は至近距離で観させてもらったが、渾身の素晴らしいプレイだった。
佐藤タイジ君はバス・ドラを踏みながらの弾き語りワンマン・バンド・スタイルだ。途中から中條くんと沼澤くんが加わってシアター・スタイルに・・・楽しいライヴだった。
僕たち、ブルーズ・ザ・ブッチャーはいつもと同じようにブルーズをドカドカとやった。だんだん、みんなが盛り上がってきて総立ちになり、最後はフミトはじめ出演者みんなが加わって"The Blues Is Alright"の大合唱で終わった。
すべてが素晴らしかった。そこにいたミュージシャンも聴きにきてくださったみなさんも、音楽もすべてがパワーにあふれヒューマンでした。
復興にはまだまだ遠い中、このイベントを企画したフミトはじめ石巻の仲間に感謝します。
僕たちが彼らにパワーを持っていったはずなのに、逆にもっとすごいパワーを石巻のみんなからもらったイベントでした。
同じ年の和田〜、泣くなよな。

終わってから川尻さん主催の打ち上げまでしていただいてありがとうございます。
久しぶりにみんなで飲む酒もまた格別でした。本当にいい夜でした。

地震と津波に襲われた石巻のあの悲惨な状況を見て「がんばれ」なんてとても言えませんでした。
いや、「がんばれ」なんて言われるまでもなく彼らは目一杯がんばっているし、「ひとつになろう」なんて言われなくても彼らはひとつになっている。
自分の家族、親族、友達、同僚、仲間を失う。自分の体以外のものをすべて失う。自分の住んでいた家を失う。・・・どんな気持ちだろう。
故郷を離れて埼玉に住むミータンは故郷女川を離れるときに「瓦礫だけの町になってしまったけれど、でも、やっぱり故郷がいい。いつか帰ってきたい」とメールをくれました。本当に早くそうなれることを祈ってます。
また、僕らが何かの力になれるならいつでも連絡ください。
みんな、ありがとう!また、会いましょう!
Hey!Hey!The Blues Is Alright! And We Are Alright! Alright!Alright!

☆PHOTO DIARYにも後にこの日の写真をアップします。

いにしえのブルーズはいかがでしようか

ファイル 19-1.jpg

先日、渋谷のタワーレコードのブルーズ売り場の階に降りたところ、ブルーズ・コーナーに若い女性の人だかりが・・・いや中年のおばはんも。なんだなんだ・・日頃閑散としているブルーズ・コーナーにいったい何が・・と思って近づいてみると、何の事はないブルーズコーナーの隣りがKポップ・コーナーに様変わりしていたのだった。そう言えば1階でもKポップのイベントみたいなのをやっていた。いまやAKBとKポップか・・・・なんて思いながら、ブルース・コーナーで1930年代のブルーズのアルバムを手に取る私。隣り同士のコーナーなのにその音楽の隔たりはあまりに大きい・・・なんてどうでもいい、まぁKポップなんてどうでもいいんだけど。
去年から再び戦前ブルースにハマりアナログ盤も含めせっせと入手しているのだが、P-Vineレコードが戦前ブルーズのコレクションをどど〜んとリリースしてきたので、調子に乗って買ってしまっている。当然だがいにしえの録音ゆえに、ノイズは入っているし、録音も良くない。また、それぞれのブルーズマンの曲にたくさんのバリエーションがあるわけでもなく、歌詞は違うがどちらかと言えばみんな自分のひとつのスタイルがあるだけだ。中にはテンポとキーもほとんど同じというバリエーションとは無縁の人もいる。でも、ぬた〜っとした昼下がりなんかにいいんだなぁ、いにしえのブルーズ。
中にバーベキュー焼いて働きながら歌ってたのでバーベキュー・ボブという名前のブルーズマンがいる。牛丼屋でバイトしてたら牛丼太郎とか。オレはThe Devil's Son-In-Law(悪魔の養子)だと名乗ったピーティー・ウィーストローっていう人もいるが、顔みたら結構人の良さそうな人だ。ブルーズマンというより旅回りの芸人さんだったというジム・ジャクソンは音楽にバリエーションがある。でも、写真は恰幅のいいお寺のお坊さんがギター弾いてるみたいだ。そして、メランコリーなリロイ・カーのブルーズ・・・歌詞がいい。いつも、泣ける。
20-30年代のブルーズに浸りながら今日も日が暮れて行く。"In The Evening,Mama When The Sun Goes Down・・・・Ain't It Lonesome When Your Lover's Not Around.When The Sun Goes Down・・・・・・・"Leroy Carr