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中村とうようさんのこと

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先日、ミュージック・マガジンのインタビューを受けた。その内容は次号のマガジンで読んでいただくとして、ミュージック・マガジンと言えば初代の編集長中村とうようさんが7月21日に亡くなられた。そして、それが自死だったために音楽業界のたくさんの人たちにかなり大きなショックを与え、僕のところにもいくつか驚きのメールが届いた。

そして、その先日のインタビューの時に最新号のミュージック・マガジンをいただいた。帰途に着く電車の中でとうようさんが書いていた「とうようズ トーク」のページを真っ先に読んでみたら、最後に読者宛にお別れの言葉が少し書かれていた。最後の「とうようズ トーク」だった。
少しの文なのだが、とうようさんのことだけでなく、人間が老いていく、それもひとりで老いていく儚さが頭によぎって読んでいて落涙しそうになった。でも、とうようさんは「人生は楽しかったし、思い残すことはない」と、同情されることを嫌うかのようにきっぱりと書かれている。しかし、その「とうようズ トーク」の書き出しが6月に住んでおられたマンションの近くでひばりが鳴いている話だったので、そういう生命の輝きのようなことを感じておられたとうようさんが、その1ヶ月後くらいにマンションから飛び降りるという光景が目に浮かびまた胸がつまった。

1970年代初めにミュージック・マガジン(当時はニュー・ミュージック・マガジン)が創刊された。その創刊者であり長く編集長であったとうようさんの残された業績はあまりに大きい。ブルーズを積極的に日本に紹介されて、レコード会社にブルーズのレコード出す働きかけもなされ、ブルーズマンの日本公演招聘もされた。ブルーズのラジオ番組もされていたが、当時京都に住んでいた僕は聞けなくてくやしい思いをしていた。当時、とうようさんのそういう動きが日本にブルーズの種を蒔き、ブルーズ・ムーヴメントが広がっていくきっかけになった。
初めてとうようさんと話したのは1974年だったと思う。「ブルーズのすべて」というミュージック・マガジンの増刊号を作られるので取材を受けたのが最初だった。その前からとうようさんの文は読んでいて、ブルーズのアルバムを買う時のガイドにさせてもらっていた。その後、とうようさんの「B.B.キングは卑屈な芸人」発言があり、ブルーズを民族音楽としてしか捉えないかのようなとうようさんの姿勢に反発も抱いた。しかし、音楽と社会、政治の接点をその時々で捉えたとうようさんの鋭い文は、凡庸な音楽ライターの書いたものとは一線を画していた。ただ、その後とうようさんの興味がブルーズ、ロックからワールド・ミュージックはじめ多分野に移っていき、僕の興味外のところに行かれたので自然ととうようさんの文から遠ざかっていった。
でも、とうようさんの著書「大衆音楽の真実」や「雑音だらけのラブソング」など単行本は読んでいたし、マガジンも「とうようズ トーク」だけは本屋で立ち読みさせていただいていた。すみません。

思い返せば、75年にリリースされた「ウエストロード・ブルーズバンド」のデビュー・アルバム(僕にとってのデビュー・アルバム)のライナー・ノーツを書いてくださったのもとうようさんだった。
その後も外タレのコンサートの会場や楽屋で何度かお会いして話もさせていただいた。
最後にお会いしたのは・・・何年前だろうか。六本木の青山ブックセンターでばったりお会いしてお連れがいらっしゃったのでご挨拶だけした。その時は本を何冊か抱えられて、相変わらず眼光は鋭くお元気そうだった。

やはり70年代から音楽を始めた者にとって中村とうようさんの文と発言は折に触れて気になるものだった。時には気持ちがいいほど評論をバッサリと書かれて、時にはそれは違うんじゃないかなぁ・・と反発し、また自分が全然気づいていなかったことを問題提起されて考えたり・・・と、その文や発言に刺激されたのは確かだった。
最後の「とうようズ トーク」に「やれることはやり尽くした」と書かれていたが、日本でブルーズが知られていった時代を共に生きた者としては、もっと音楽について書いていただきたかった。残念です。
ご冥福をお祈りします。

追記-偶然、今朝聞いていたライトニン・ホプキンスの「ライトニン・ホプキンス/イン・ザ・ビギニン」(原題"Strums The Blues")のライナーも中村とうようさんだった。アルバムの編集もされている。1974年に東芝からリリースされた「ブルース名盤シリーズ」の1枚だ。この頃は本当にたくさんのブルース・アルバムが日本のレコード会社から争うようにリリースされていた。このシリーズのB.B.キングもジミー・リードもT.ボーンもずっと大切に聞いている。そして、ターン・テーブルに載せる度に何度も読んだとうようさんのライナーをまた読んでいる。これからも何度も読むのだろう。

Blues&Soul Records No.101

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現在発売中の新しいbsr(ブルーズ&ソウル レコーズno.101)誌にブルーズ・ザ・ブッチャーのフジ・ロックのレポートとニューアルバムの告知が出ています。読んでみてください。10月のアルバム・リリースに向けて着々と準備進行中。リリース・ツアーは11月から12月にかけて再び「過密スケジュール・ツアー」行います。乞うご期待!
bsr誌には亡きコーネル・デュプリーの貴重なインタビューも掲載されています。

Little Esther

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アコースティック・ギターを去年くらいから本格的に欲しいなと思っていたのだが、とうとう出会った。
「彼女」は1966年のアメリカ生まれだが日本には来たばかり。製品名はGibson LG-O
大阪のギタリスト森くんが「ホトケさん、なかなか器量のええ娘がいまっせ」とギターショップで見つけ教えてくれた。
最初に抱いた瞬間に僕の腕にぴったりで即決まり。小柄できれいなブラウン・シュガーだ。しかも、音がブルーズ。
それで大好きな女性シンガー、エスター・フィリップスの少女の頃の芸名をとって名前を「リトル・エスター」にした。
これでまた一歩、よりディープなブルーズへの道へ・・・・すごく嬉しい。

Nothing But The Blues

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Nothing But The Blues
昨日(8/18)の酷暑の中、JIROKICHIに来てくださったみなさん、ありがとう!いゃ〜、なんかすごくいい感じで自然に盛り上がって楽しかったですね。JIROKICHIのエンジニアのワオさんに「すごく良かったですね。思わずイェ〜って声が出ちゃいましたよ。ブルーズ・ザ・ブッチャーはやっぱりいいバンドですね」とお褒めいただいた。結成以来、ずっと音を聴いてもらっている人に誉められると正直、うれしい。ブルーズ・ザ・ブッチャーの4人だけでしかもホームのJIROKICHIでというのが、気持ちが落ち着いて本当にDown Homeな感じになっていいな。来月は8日(木)。毎月、毎月JIROKICHIでやっているけどこの積み重ねはバンドの大きな財産になっていくと思います。ああ、来月は新しい曲やりますよ!

来週は関西へひとり旅。8月27日は心斎橋のS.O.Raで4回目を迎える「永井ホトケ隆のブルーズ講座/大阪編」。私の生き方に徹底的な影響を与えた「ブルーズの王様B.B.キング」の特集です。映像、写真、CDなどを使ってB.Bの音楽性だけでなく、彼の人間的な魅力、内面性にまで迫りたいと思っている。私所有の秘蔵の映像も蔵出し!もちろん、森くんとB.Bの素晴らしい曲も演奏します。それで今日は朝からB.B.キングづくし。心が豊かになるブルーズ・・・・B.B.を聴くたびにそう思うのは、B.B.が心豊かな人だからです。自分がブルーズを歌う精神的な出発点になったB.B.だけどまだその背中も見えないかな。まだまだB.B.は遠い。

 『We Play The Blues For You,Mako.And We All Love You』-2011年8月5日&6日 永井ホトケ隆プロデュース2DAYS

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4月に急逝されたJIROKICHIのマスター荒井誠さんの追悼ライヴをやりたいので手伝ってもらえないかと、JIROKICHIのスタッフのタカから連絡をもらったのは5月の終わり頃でした。プロデュースというほどのことはできませんでしたが、2日間ともソウルド・アウトするほどたくさんのお客さんに来ていただき、また参加してくれたミュージシャンのみなさんには心のこもった演奏をしていただき本当に感謝の気持ちでいっぱいです。両日ともすごく盛り上がったファンキーな夜になりまして、楽しいことが大好きだったマスターはきっと天国で踊りながら聴いてくれたと思います。皆様、ありがとうございました。
常々言っていますが、1974年の開店当初から出演している自分にとって「JIROKICHI」はライヴハウスではなく、ライヴホームです。音楽だけでなく個人的にも、私にとっては心許せるホームでありつづけてきた店です。開店から40年近い歳月の中で、自分が何か新しいことを始めるときにまず最初にトライするのはいつも「JIROKICHI」からです。いまも必ず1ヶ月に一度はブルーズ・ザ・ブッチャーでJIROKICHIに出演しています。どんなにメンバーが忙しくてもなんとかスケジュールを合わせてJIROKICHIはやるぞとみんな思っています。
思えば「JIROKICHI」はいつの時代もスタッフが素晴らしい人たちばかりです。みんな、いい人で親切で優しい。JIROKICHIにいてイヤな思いをしたことがありません。それはマスターの人柄がそういう素晴らしいスタッフを自然と寄せつけたのだと思います。いろんなライヴがありましたが、どんな時でもいつも気持ちよく演奏させてもらっています。

JIROKICHIの音的な良さはやはりそのミュージシャンの生音が聴けることでしよう。JIROKICHIの音はPAから出てくる音だけでなく、生のダイレクトな音もかなり聞こえます。その割合を調合するミキサーのワオさんは素晴らしいエンジニアです。だから、JIROKICHIで「いい音だったよ」とお客さんに言われることはとても嬉しいことなのです。
そして、ここでいろんなミュージシャンに紹介され、交流をもつ機会を得ました。最初に出演した時の「ウエストロード・ブルーズバンド」のメンバーはもとより、亡き浅野祥之くんとも亡き大村憲司さんとも初めて音を交わしたのはJIROKICHIでした。ベースの岡沢章さんに自分で電話してセッションをお頼みしたのもJIROKICHIでした。ムッシュと初めてステージに立ったのもJIROKICHIでした。バーナード・パーディとセッションできたのもミッキー・ベイカーとやったのも、ニューオリンズのたくさんのミュージシャンとギグをしたのもJIROKICHIでした。
決して大きなお店ではありませんが、この40年ほぼ毎月JIROKICHIにずっと出演させてもらってきたことは私のかけがえのない宝です。それはどんな大きなホールやスタジアムに出るよりも私の誇りです。
荒井さんが亡くなられてしばらくして、ここに出演しているみんなが思ったのは「もう、JIROKICHIはなくなってしまうのだろうか・・」ということでした。
それは単にひとつのライヴハウスがなくなってしまうということだけでない、もっと大きな精神的な拠り所がなくなってしまうことを意味するからです。
そう思っているミュージシャン、そしてお客さんはたくさんいると思います。
私も心配でした。でも、大丈夫です!ワオさんとタカをはじめスタッフが一丸となってこれからも盛り上げて続けて行きます。

ここ数年、荒井さんが北海道に住むようになってからは会うたびに「ホトケ、JIROKICHIをよろしくな」と言われていました。
でも、私ができることは微々たることでみなさんの力がないとどうしょうもありません。
私がこんなことを言うのもおかしいかも知れませんが、「みなさん、JIROKICHIをどうぞ、これからも、よろしくお願いします!」
JIROKICHIのライヴはもちろんですが、JIROKICHIは夜の二時まで営業しています。仕事帰りに演奏後のJIROKICHIに寄って、カウンターに座りスタッフと音楽の話でもしながら酒を飲んで料理を食べるという時間の過ごし方も素敵かと思います。

そのカウンターに荒井さんがふらっと現れて賑やかに一緒に飲むことはもうないのか・・・・と思うと胸に想いが詰まります。
でも、「楽しくやろうよ」という荒井さんがよく言っていた言葉を忘れず、これからもみんなで楽しくやりましょう。

亡き荒井さんへの想いは語り尽くせないほどありますが、それはまたの機会に。

本当に2日間、ありがとうございました。
出演ミュージシャン:5日(金) 沼澤尚dr 中條卓b KOTEZbluesharp ムッシュかまやつvo.g 鮎川誠vo.g シーナvo 近藤房之助vo.g Leyona vo永井ホトケ隆vo.g
6日(土) 金子マリvo 松本照夫dr 森園勝敏g 石井為人key 北京一vo.etc 大西真b 吾妻光良vo.g 牧裕b 早崎詩生p 岡地曙裕dr 小出斉vo.g 小堀正b Leo vo 妹尾隆一郎bluesharp.vo 石川二三夫bluesharp vo永井ホトケ隆vo.g

                                                                                                                                        I Love My Sweet Home "JIROKICHI" 永井ホトケ隆

P.S.忘れてました・・・今月のJIROKICHIのブルーズ・ザ・ブッチャーは8月18日。みなさん、暑さを吹き飛ばしにVoodoo Musicで飲みに、踊りに・・どうぞ。

『夏の日に聴く、余計に暑くなるクリスマス・ブルーズ』

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Blue Blue Christmas (P-Vine Records PCD-1619)
先日下北でゲットしたアルバム。発売当時買いそびれていたアルバムを中古盤800円でゲット。
P-Vineレコードがかなり前にリリースしたクリスマス・ブルーズコンピ・アルバム。
ちょっとセクシーな熟女風サンタさんだがジャケ買いではない。ちなみにこのジャケットとはほど遠く中身はコッテ、コッテのブルーズの数々。
ブルーズはじめ黒人音楽のクリスマス・アルバムというのを集めている僕にとっては嬉しい1枚。
集めていると言っても血眼になって探しているというわけではなく、なんとなく見つかれば買うみたいな感じで濃度の低いコレクトぶりだが、自分のレコード棚を見てみるとそこそこクリスマス・アルバムが収集されている。

このコンピ・アルバムなかなか優れもので、こんなブルーズマンのクリスマス・ソングがあったのかとひとり喜んでいる。
収録されている中ではチャールズ・ブラウンの「メリー・クリスマス・ベイビー」がダントツで有名な曲だ。
デトロイト・ジュニアの「クリスマス・ディ」は初めて聴いたが、「メリー・クリスマス!エブリバディ!」というかけ声で始まるアップ・テンポのファンキーなクリスマス・ソングで一気に体温が上がる。しかし、デトロイト・ジュニアいう芸名がきょ〜りょくやな。言ってみれば東京ジュニア、名古屋ジュニアみたいなもんやからなぁ。
膝の上にギターを横にしてスライド・ギターをするブラック・エースさんの「クリスマス タイム ブルーズ」なんていうのも入っている。そう言えば、エースさんは自分のアルバムで「サンタクロース・ブルーズ」という曲も歌っていた。この人はクリスマス・ソング好きか? you tubeの映像(http://www.youtube.com/watch?v=qck-s79efuw)でエースさんが嫁はんと子供の前でブルーズを歌っているのがあったが(子供は退屈そうな顔してるし、嫁はんもつき合わされてる感が出てる)、クリスマスになったらあんな感じでこのクリスマス・ブルーズを家族の前でスライド弾きながら歌うのだろうか。
あとはクール・パパ・スミスなんて全然知らない人も入ってる。ちょっとチープなかっこ良さの芸名がええ感じです。
ウォルター・ディヴィス、ホップ・ウィルソン、ジミー・マグリィフなどのクリスマス・ソングも収録されている。
しかし、やっぱりおもろいのは何と言うてもライトニンの「メリー・クリスマス」。のっけからペケペケのいつものギターの音で別に「メリー・クリスマス」という歌詞以外はいつものライトニン。しかも飲んで録音してるのか"Merry Christmas〜"の最初から発音がヨレてるし、テキサスでなまってるしめっちゃおかしい。やっぱライトニンはいい。ライトニンはひとつの偉大な解放だ。

収録曲の内容はブルーズだけに「クリスマスなのに彼女がいない、金がない」というのが多い。「なんかプレゼントもってきてくれ、サンタさん」みたいなのもある。
解説で日暮泰文さんも書いているが、黒人にとっての(とくにブルーズマンにとって)クリスマスっていうのはやはり一般的な白人のクリスマスと違うのだろう。サニーボーイの「クリスマスなんでキリスト教に近づこうとお祈りするんだけど、悪魔がジャマするんだな。だからクリスマスも一日中酒を飲みっぱなしってわけよ」という「サニーボーイズ・クリスマスブルーズ」という曲が、黒人ブルーズマンの感情をよく表してるようだ。これもサニーボーイらしい大好きな曲だ。チャールズ・ブラウンの「メリー・クリスマス・ベイビー」にも、「クリスマスだからオレは今朝は飲んでないよ」という歌詞が出てくるが、結局この方たちは普段朝から飲んでるわけやね。
とにかく、おもろいアルバムです。
クリスマス・ソングと言っても結局ブルーズですらかね。念のため。

やっと読み終えたキース自伝「Life」

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キース・リチャーズ自伝「Life」(棚橋志行訳 楓書店)
かなり分厚い本で、キースの話をたっぷり楽しませてもらった。
キースの波瀾万丈の人生を書くにはもっともっとページが必要だったかも知れないけど。
子供の頃の話から現在に至るまで、音楽の話だけでなく女性関係からドラッグ話まで赤裸々に書かれているけれど、ブルーズ好きの自分としてはストーンズ結成頃、60年代初中期のイギリスの音楽、ブルーズ状況の話がいちばん面白かった。
ストーンズというバンドを結成していく話や、ブルーズ好きのミュージシャンが磁石に引き寄せられるように集まってくる話は、70年代初期の自分の周りで起こったことも想い出させてくれた。

キースは音楽をやる上でバンドの大切さを説いている。やはり、彼は自分の信じるサウンドとグルーヴを作ることに心血を注いできた男であり、ギターだけうまくなりたいと思っている人間ではない。そして、いいバンド・サウンドを作ることが自分自身をいちばん表現できる方法だということに早くから気づいたところが賢い。
だから、当然キースはローリング・ストーンズというバンドをすごく大切にしている。命かけてきたと言っても大袈裟ではないと思う。
そこがキースのいちばんブレてないところで僕から見るといちばんかっこいいところだ。

だから、途中からあれやこれやとブレていくミックに腹立たしく思い始めた気持ちはよくわかる。
でも、ミックにはミックの言い分はあるんだろうけどね。
だけど、ストーンズが初来日する前にミックがソロ・ツアーで来た時のミックってつまらなかったなぁ・・・。ストーンズの曲をやればやるほどシラケた。「歌ってるのは確かにオマエだけど、バンド・サウンドもグルーヴも違うのにストーンズの曲やったってカラオケで歌ってるみたいなもんだよ、ミック!」って言いたかった。

いろいろ紆余曲折を経て、それでも同じステージ立つ相棒としてはふたりは認め合っているから何十年もいっしょにやってきたわけだ。
元々、生まれも育ちも経験も趣味趣向も違う人間同士が集まってバンドをつくるわけだから、すべてが合うわけがないのであまり重箱の隅をつっつかないことだな。

僕の好きなブライアン・ジョーンズのことも途中からストーンズの足手まといみたいになったように書いてあったが(確かにそうなんだけど・・)、ブルーズバンドのアンサンブルとかふたつのギターの絡め方はブライアンがキースに教えたはずで、そのあたりのことをもうちょっと書いてほしかったな。声を大きくして言いたいが、ブライアンは相当な才人で、ことブルーズに関する見識と腕前は当時のイギリスではダントツだったと思う。

しかし、ストーンズほどのビッグな化け物バンドになるとアルバム一枚作るのも、ツアーひとつやるのも大変で、自分がスターであることを楽しめないとああいうバンドはやれないのだと思った。
僕はブライアン・ジョーンズがいた初期とミック・テイラーが在籍した頃が好きなのだが、途中で突然辞めてしまうミック・テイラーもストーンズというモンスター・バンドにいることに疲れたのではないだろうか。ベースのビル・ワイマンは「飛行機に乗るのがもうイヤだ」と言ってやめたそうだ。そう思うと、キースやミックという人は相当強靭な神経の持ち主なんだろう。
「メイン・ストリートのならず者」を録音していた時は、キースのフランスの邸宅(この邸宅で録音していた)にどんどん訳の分からないファンやらグルーピーやらドラッグ運び屋が出入りしていたという話も出てくるが、自分だったらとても耐えられない。
元々は黒人のブルーズをイギリスに広めたいと思っていただけのグループが、ヒット・メイカーになってビッグになりスタジアムでしか演奏できないバンドになってしまう。大きな成功の傍らで失ったものもあるのだと思う。でも、その失ったものにたくさんの気持ちが削がれるようではロックンロール・スターにはなれないんだろう。

そういう自分が置かれているそういう特殊な状況で音楽に集中するためにドラッグが必要だったのだろうが、途中でずっと続くドラッグの話にやや辟易した。「うん、キース、もうドラッグの話はいいから音楽の話をして・・・・」と何度か言いたくなった。

ストーンズ・ファン、キース・ファンにはたまらなく面白い1冊。夏休みにキースの好きなジャック・ダニエルのハイ・ボールでも飲みながら読むのにいいかも知れない。

次はチャーリー・ワッツの自伝が読みたいなぁ。チャーリーから見たストーンズって面白そうだ。

音放浪記/おっと!見つけた!Annisteen Allen嬢

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FUJIYAMA MAMA/Annisteen Allen(ReV-OlA CR BAND8)

7月某日、下北沢の中古レコード店のブルーズ・コーナーにてアニスティーン・アレンのコンピ"FUJIYAMA MAMA"を発見!即購入!
この日はホップ・ウィルソン、インペリアルのコンピ、ボ・カーターなどなかなか収穫の多い中古盤探索だった。
さて、タイトル曲の"FUJIYAMA MAMA"はブルーズ・ザ・ブッチャーとシーナ&鮎川君の先頃のライヴでシーナが歌っていた曲。
僕は鮎川君が作ってくれた音源とyou tubeでしか聴いたことがなかったのだが、とうとうアルバムをゲットした。しかも1000円だ。28曲も入っている。まあ、曲数が多ければよいというものでもないが、この28曲がすべて素晴らしい!
40年代半ばからラッキー・ミリンダー楽団の歌手として活躍を始めたアニスティーン・アレンはカテゴリーに分けるとジャンプ・ブルーズ・シンガーということになるのだろうが、R&Bシンガーとしてもジャズ・シンガーとしても通用する深みのあるシンガーだ。ほぼ同時代のダイナ・ワシントンやルース・ブラウン的な匂いもあり、まさに私好み。
アップテンポからスローまでどれも魅力的で、とくにスローの時の少し力が抜けた時の歌声が艶っぽい。
基本的に骨太のシンガーだが、がなるようなところがなくパワフルになっても荒れた声にならないところがいい。
と、まあ大絶賛なわけで買った日から毎日聴いている。

ところでタイトル曲の"FUJIYAMA MAMA"だが、歌詞をちゃんと聴いてみてちょっと驚いた。
「わたしゃ、広島、長崎でやったのと同じ様にあんたを吹き飛ばせるのよ。そうよ、わたしゃフジヤマ・ママ。わたしが爆発したら誰にも止められないからね・・・」と、広島、長崎の原爆投下がベースになっている歌詞だった。
これをオリジナルのアニスティーン・アレンよりヒットさせたのは白人の女性歌手ワンダ・ジャクソン。
僕はよく知らないのですが、このワンダ・ジャクソンはロカビリーの女王という呼び名もあり、かなり有名らしい。そして、上に書いたような歌詞にもかかわらず被爆した日本でもヒットしてシングル盤も発売されてワンダさんは来日もしている。来日時にこの曲を歌ったかどうかは定かではない。当時の日本の歌手によるカヴァーもリリースされたらしい。you tubeでは細野晴臣氏がカヴァーしている映像があった。
私見では戦勝国アメリカでは日本をやっつけたという気持ちもどこかにあってのヒットだと思われる。
作詞した人は「私はめっちゃ強い女なのよ」という意味あいを出すために広島、長崎・・・と言う歌詞を出したのかも知れないし、メロディもグルーヴもいいので・・・う〜ん、でもなぁ、頭の堅い僕にはまったく抵抗がない・・とは言えないかな。

でも、このアニスティーン・アレンのアルバムは見つけたら迷わずゲット!

「愛はどこにでも見つけられる(ギターにさえ)」

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Albert Collins/Love Can Be Found Anywhere(even in a guitar)     (Imperial Lp-12428)
このアルバート・コリンズのアルバムには過去中古盤屋で何度か遭遇してきた。気にはなっていたが、その度に「これって、コリンズの決定盤というほどのアルバムでもないしなぁ・・・・・・まっ、いいか」とパスしてきた。
しかし、この日はあまり欲しいアルバムがなくて先のグラント・グリーンのアルバムだけをゲットしていた。そこにこのアルバムが現れた。
値段をみると2500円。別に高額ではないのだが、普段ほとんどの中古盤を2000円以下でゲットしている自分にとってはやや高い。ちなみに先のグリーンのアルバムは800円だ。普段、酒にムダ金を使っているくせにこんな時にSave Moneyの気持ちが湧いてくる。
でも、「よし!今日は買うか!」と「清水の舞台」から飛び降りた。あまりに低すぎる「「清水の舞台」だが・・・・。
これもアナログ盤だが、60年代ウエストコーストの白人ブルーズバンド「キャンドヒート」のヴォーカル、あのおデブのボブ・ハイトがジャケット裏のライナーを書いている。
実はこのアルバム、そのボブ・ハイトがコリンズさんのプレイに惚れ込みインペリアル・レコードに売り込んだらしい。
全体的にファンク・テイストなのだが、先のグラント・グリーンに比べると「イナたい」。バックもイナたいがやはりテキサスから直送のブルーズマンであるコリンズのギターは、キレもコクもあるが・・・イナたい。でも、イナたい・ファンク・ブルーズ大集合みたいなアルバムでとても好感がもてる。
たぶん、ウエスト・コーストのヒッピー風の兄ちゃんがラリパッパで描いたであろうサイケ風のジャケットもGOODだ。
アルバム・タイトルもラヴ&ピースの当時の流れで「愛はどこにでも見つけられる(ギターにさえ)」だ。

「いまも古くない骨太のクロス・オーヴァー」

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Grant Green/Blue Breakbeats(Blue Note B1 7243 4 94705 1 4)

6月の初めにゲットしたアルバム。
中古レコード屋のブルーズのコーナーにまぎれ込んでいたジャズ・ファンクのギタリスト、グラント・グリーンのアルバム。アナログ・レコード盤。
まずタイトル"Blue Breakbeats"からして惹かれる。
70年代初頭のグリーンのアルバムから抜粋したコンピレーション・アルバムだが、やっはりこの時期、クロス・オーヴァーといわれた時代のこの手の音楽はいい。
その後、フュージョンになっていくと僕はこういう音楽から離れていくのだが、この時代の良質のクロス・オーヴァーはグルーヴが骨太で、インプロヴィゼーションのやりとりが巧みで、小賢しいセクションがなくていい。個々のソロが歌っていて歌がないけれど歌手の僕でも聴いていて飽きない。
参加メンバーもIdris Muhammad(dr) Chuck Rainey(b)Ronnie Foster(organ) Jimmy Lewis(b) Cornell Dupree(g) Gordon Edwards(b)Grady Tate(dr)・・・・・と、素晴らしい名手ばかり。
サンプリングもたくさんされているグラント・グリーンなのでそちらで「あっ、聴いたことある」と言う人も多いと思う。

グラント・グリーンは亡き塩次伸二が大好きなギタリストだった。

ちょうど初めてアメリカへ行った頃、クロス・オーヴァーのブームが起こり始めていろんなクラブでこういう強者たちのライヴを聴いた。マルガリータ飲みながら・・・・。
久しぶりにCTIレーベルを聴いてみようか。