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「2年間」
  浅野君が亡くなって今日(4/20)で2年が過ぎた。僕の中ではこの2年は長かったような、また短かったような、ふたつの気持ちが重なり合っている。
「The Blues Power」を共にやっていた浅野君が亡くなった後に始まった「blues.the-butcher-590213」(ブルーズ・ザ・ブッチャー)は、彼が最後にやりたかったBLUESという音楽を残された沼澤君と僕が中條君とKOTEZ君の加入を得て始めたバンドだ。もうすぐ二枚目のアルバムが出る。
この2年間ツアーもできる限り続けてきた。どこのステージでもイベントでもレコーディングでも浅野君は僕たちと一緒にいる気持ちで・・・。

僕にとってはとりわけギターという楽器と毎日対峙している感じの2年間だった。
とてもとても浅野君のギターの腕には及ばないのにこのバンドにはギタリストは僕しかいないのだ。だけど、沼澤君が言うように浅野君の代わりに誰かギタリストを入れることは考えられなかった。「The Blues Power」以前はギターを持たない(シンガー)だった僕にとって浅野君のような優れたギタリストの後をひとりで切り盛りするのは時に心の重荷だった。聴きに来ている人たちは浅野君のギターがないからがっかりしているだろうと思うこともあったり・・・いや、今でもあるかな。でも、僕がその重荷を抱えてただ沈んでしまったら浅野君はがっかりするんじゃないかと僕は思ってきた。
BLUESは正直な音楽だから正直にやるしかない。いまの自分を聴いてもらうしかない。自分の人生と同じようにギターでも僕はミス・トーンをする。でも、今日はうまくいったかなと思う時もある。そういうことの繰り返しだったし、これからもそうなのかも知れない。「立て板に水」のように弾けたらいいなぁ・・・と思うこともあるが、「どぶ板に泥」のように生きてきた僕には無理なようだ。でも、B.B.キングの「毎日15分でいいから、何かを見つけようと思ってギターを弾けばきっと上達するよ」という言葉を胸にギターを弾いている。

僕はこの2年BLUESが虚飾を許さない正直な音楽であるように、僕たち4人の正直な姿を音にしてみなさんに聴いてもらっていると思っている。浅野君の正面からBLUESに取り組みたいという意志をそのままに僕たち4人はいつもステージでBLUESとガチンコしている。
そして、浅野君の残した想いを核にして僕たちはBLUESという素晴らしい音楽の数少ない本当の担い手として誇りを持って先に向かって広がり進んでいる。
振り返ることはない。何故なら「今も」浅野君は一緒にいるわけだから昔を振り返ることはない。振り返るのは僕自身が終わりを迎える時だ。それまではもう突き進むと決めている。
落ち込んで何もしないことを浅野君は望んでいないと思う。僕たちと聴きに来てくれているみなさんとが立ち止まらないで新しい地点に向かって歩いていることを彼はきっと望んでいると思う。そして、僕たちブルーズ・ザ・ブッチャーが演奏しているところに来てくれたら僕たちのBLUESの中にみなさんは「本当のこと」と浅野君を見つけると思う。初めての人もしばらく足が遠のいていた人もどこかでいまのブルーズ・ザ・ブッチャーを聴きにきてください。いま僕たちバンドは素晴らしい瞬間を迎えているような気がするからです。

この間は浅野君が久しぶりに夢に出てきた。僕たちが演奏しているフェスティバルみたいな会場に入院している浅野君が観にきていた。パジャマ姿だった。僕が一緒にやろうよと言うと「長い間、練習してないからイヤだ」って言っていた(パジャマだからイヤなのではなかった)。でも、演奏しているうちにやりたくなるだろうと思って時々浅野君を見ながら演奏していたら、いつの間にかいなくなっていた。胸がからっぽになったような夢だった。

浅野君の命日の今日は用事があって行けないので先日お墓参りに行ってきた。春なのに暑かったのでたくさん水をかけてあげた。そして、浅野君にいろんなことを報告して話していたら偶然、浅野君の奥さんの佳三恵さんと息子さんたちがいらっしゃった。佳三恵さんはタバコに火をつけて浅野君にあげていた。僕があげたお線香の煙とタバコの煙が一緒になっていた。そして、緑と春の光が降ってくる中を浅野君と待ち合わせしたこともある駅まで浅野家の車で送ってもらった。

桜は散ってまた夏が来る。新しいアルバム"Mojo Boogie"がリリースされる。そして、6月から長いツアーが始まる。Keep On Running!だ。

この2年、ブルーズ・ザ・ブッチャーは応援してくださるファンのみなさん、写真家の菅原さんとスタッフの方々、各ライヴハウスの方々、そして井村君はじめP-Vine Recordsのみなさんの暖かい支援を得てやってきた。いま改めてみなさんに感謝の気持ちを言わせていただきたい。ありがとう!これからもよろしくお願いします。
永井“ホトケ”隆
「2008年を振り返り」
  今年もいろんなところへツアーに出かけ、いろんな景色を観ていろんなものを食べて、いろんな人と出会った。
持病はあるが大した病気もせず無事一年を過ごせたことを感謝したい。
ツアーの移動する電車の中で自分はいつまでこういう生活をできるのだろうか・・・・と以前にも増して思うようになった。
残り時間は「神のみぞ知る」だが、目的のために時間は欲しい。

好きな音楽を生業にして好きなブルーズだけを歌い、大して金はないが日々嫌な思いをすることもあまりなく生きている。
それだけで充分幸せだ。

多くを望まず。
私はあまり賢くはないので多くを望むと何が大切なものかわからなくなる。
どんな生き方をしても失うものもあれば得られることもあると思うが、すべてを得られることはないと思っている。
だから自分の本当に大切なことだけ、大切な人たちだけを失わずに生きていく・・・・それでいつからか「多くを望まず」ということになった。

「ブルーズを歌い続けること」−それが私の生きている意味の中心である。
私には小さいが自分の場所があり、その場所からその意味を確認しながら生きている。
そして、その向こうに目的としている深遠なる場所がある。
そこにたどり着くにはどのくらいの時間が必要なのかわからない。

今年は塩次伸二はじめ自分にとって大切な人が何人か逝去した年だった。
応援してくれた君嶋さん、優れたギタリストだった飛田くん、長年ファンでいてくれた柳川君、お世話になったFMアルファ・ステーションの田中さん・・・・・みんなにもっと時間があれば・・・と思う。
40年近くつきあった伸ちゃんのことはいまだに気持ちの整理がついていない。
音源や写真、映像など彼を想い出させるものが時々引き出しから出てくる。
ミュージシャンである彼を失った大きさや重みは年を経るごとに私にのしかかってくるのだろうと思う。

大村憲司さんが亡くなられてから10年。この10年の間に青木智仁君、ブッチャー(浅野祥之君)、塩次伸二・・・・・何人もの素晴らしく才能のあるミュージシャンを見送った。もう喪服を着るのは勘弁して欲しい。
そして、無能な私のような者が残っている。
彼らの残した素晴らしい音源を聴くたびに、無能なくせに怠惰な自分が恥ずかしくなる。
でも、彼らに私は支えられている。
胸の奥でずっと彼らの音が聴こえている。それに支えられている。

今年新しいバンド(blues.the-butcher-590213)で1st.アルバムを発表できたことや、コンスタントにライヴを続けられていることの後ろには多くの人たちの支えがあることを忘れてはいけない。
来年も新しいアルバムを出し、旅を続ける。
応援していただいている皆さんにはたくさんパワーをいただいた。いやパワーだけでなくいろんなヒントをもらっている。そういういただいたものを何倍にもしてお返ししたいと思っている。
改めて、みなさんありがとうございました! よいお年をお迎えください!  永井“ホトケ”隆

最後に今年私の心に多くの潤いを与えてくれた素晴らしい歌、音、文、映像を憶えているだけ記します。
☆"One Kind Favor"(B.B.King)
☆"Lay It Down"(Al Green)
☆"The Original Soul Man/DVD"(Sam&Dave)
☆"City That Care Forgot"(Dr.John)
☆"Dreams To Remember"(Otis Redding)
☆"Tell Tale Signs"(Bob Dylan)
☆"Live Hope At The HideOut"(Mavis Staple)
☆"Simply Grand"(Irma Thomas)
☆"Soul Galaxy-Gambling To Sweet Harmony"(Various Artists)
 ☆「スタックス・レコード物語」(ロブ・ボウマン著 新井 崇嗣訳)
☆「カトリーナが洗い流せなかったアメリカの貧困」(マイケル・エリック・ダイソン著 藤永康政訳)
☆「半生の記」ほか何冊かの松本清張の本
☆"One Man Band"(James Taylor)
☆"Covers"(James Taylor)
☆ジョン・クリアリーの来日ライヴ(於 渋谷クアトロ)
☆"Like A Fire"(Solomon Burke)
☆"伝説のマックスウェル・ストリート/DVD"
☆"Devil Got My Woman/DVD"
☆"ザ・コンプリート・コブラ・シングルズ"
☆"超秘蔵パフォーマンス1960-79/DVD"(Lightnin' Hopkins)
☆"ボトルネック・ギター伝説の巨人たち/DVD"(サン・ハウス他)
☆"Together Again"(塩次伸二&山岸潤史)
他 マジック・サム、ライトニン・ホプキンス、アルバート・キングなどのブート・レッグなど。
「西へひとり旅、名古屋〜大阪〜神戸〜泉佐野〜岐阜」
  10/22(水)名古屋「Slow Blues」
昨日、故塩次伸二の告別式を栃木佐野で終えて古田光郷君の車で東京に送ってもらい乃木坂でレコード会社の打ち合わせに行き、今日旅に出た。3日前の仮通夜、お通夜、告別式と慌ただしく、疲れていたのか新幹線でぐっすり眠ってしまい名古屋であやうく乗り過ごすところだった。
去年浅野君が亡くなった後もすぐ旅だった。でも、こういう時は忙しい方がいい。想い出したり、考えたりする時間がない方がいい。
それでも想い出してしまう羽目になる・・・・・・・今日の名古屋「Slow Blues」で初めてライヴをやったのは伸ちゃんのセッションだった。あの時、打上げでカラオケに行って、カラオケのマイクを抜きギターのシールドを入れてみんなが歌う曲のバックでずっとギターを弾いていた塩次伸二。私に「ホトケ、イパネマ(イパネマの娘)歌えんか」と言っていた。ボサノバも好きな人だった。
今日一緒に演奏した「伸ちゃんの名古屋の一番弟子」を自認するギターの木下和彦君も伸ちゃんの話になると沈んでいた。そう言えば伸ちゃん、木下、私の三人でやったライヴもあった。
「Slow Blues」でのライヴ後、移転した「OTIS」に飲みに行った。ジュークボックスからスウィート・ソウルが流れていた。

10/23(木)大阪「IVY」
今日から三日間は森俊樹君とのデュオ。この店にはウエストロード・ブルーズバンドの貴重なデビュー・シングル盤「Tramp」が飾ってある。B面は「Cold Cold Feeling」。生まれて初めてのレコーディングは目黒のMouri Studioだった。一番大きなスタジオで一発録りだった。すべてが手探りの録音だった。ウエストロードの1st.アルバムは恥ずかしくて自分では絶対に聴かない。でも、伸ちゃんのギターは聴いてみたいと思う。
ライヴが終わってから毎日放送のみなさんと一緒に「IVY」と同じビル1Fにある「After Hours」へ。
かなり飲んで帰ろうかと思った頃、みなさんに「Happy Birthday」を男ばっかで歌ってもらった。そう、日が明けて10/24は私の誕生日。
みなさん、ありがとうございました。
京都では伸ちゃんのお別れ会が行われ会場のMojo Westに入れないほどたくさんの人たちが来たそうだ。

10/24(金)神戸「James Blues Land」
1年以上前から「James Blues Land」のマスター鈴木さんに私のバースディ・ライヴをやりたいとオファーを受けていた。もうバースディ・ライヴなんかやるような年でもないと私は断ったのだが、マスターの強いオファーに負けてやることになった。でも、特別なことはなくここでいつもやっているように森君とのデュオとなったのだが、それではあまりに「華」がないといことで「神戸のブルーズの華」Nacomiちゃんにゲストで来ていただいた。お店からバースディ・ケーキも出してもらい、たくさんの方からプレゼントをいただいた。ありがとうございました。
Nacomiちゃんは伸ちゃんの訃報にいち早く栃木に駆けつけてくれ、お通夜、告別式と本当によく動いてくれた。涙で目を腫らしながら・・ね。神戸の一番弟子としてがんばってください。

10/25(土)泉佐野「漫画屋」
泉佐野もこれで4回目だ。いつもの「佐野川Same Old Blues Band」ともうひとつ初めての「K9th」というバンドがオープニングを演ってくれた。両方ともブルーズ、R&Bに熱い気持ちあふれるいい演奏だった。とくにこれで4回目となった「佐野川・・」は本当に少しづつ良くなっている。練習すれば絶対に良くなる!最後は恒例のセッション大会だったが、やはりそれぞれの人間性や個性がはっきり演奏に出てしまうのがブルーズの面白いところだ。客席もすごく盛り上がって私が「泉佐野ブルーズコミュニティ」と名付けたここの人たちはいい感じになってきた。ここでもバースディ・ケーキを出してもらった。感謝です。また、暖かくなった頃行きますね。
森君、ステージだけでなく三日間いろいろと気を遣っていただいてありがとうございました。スライド・バーもありがとう。

10/26(日)岐阜「Salt122」
一緒にやる渡辺こうじ君に「来るたびにいつも訃報を持ってきますね」と言われてしまった。去年の浅野君の急逝、その前のピアノの本田竹広さん、その前は元ソーバッドの砂川正和君・・・・。伸ちゃんとも何度か岐阜に来たことを想い出す。
今夜のメンバーはいつもの鈴木君、飯沼君、そしてこうじ君だったが、この夜はとても演奏がしまっていた。自分で言うのもなんだが充実したいいライヴだったと思う。マスターのケイスケ君、いつもありがとうね。ちょっと疲れていたので一緒に飲めなかったけど次回はゆっくり飲みましょう!
別に眠いわけではなかったが、演奏後いつもより早めにこうじ君にホテルに送ってもらった。部屋でぼんやりテレビを観ているような観ていないような・・・。朝まで寝ているような寝てないような・・・・。

10/27(月)Back To Tokyo.
浅野君の時もそうだったが、どんなに大切な人を失っても私たちが生きている時間はどんどん動いていく。悲しさやくやしさに浸る暇もなく、涙に暮れている時間もなく。携帯には数ヶ月先のスケジュールが入ってきて、明日の仕事の確認の電話が鳴る。でも、忙しさに追われても忘れられるわけではない。とんでもない時にどこからやってくるのか、悲しい気持ちは押し寄せてくる。ふいに胸の底からせり上がってくる。いままでお通夜でも告別式でも私は泣いたことがない。なのにひとり蕎麦屋で蕎麦を食べている時に逝ってしまった大切な人を思い出し蕎麦が苦くなってしまう。
10月某日/祝!開業!そして歯のクリーニング
  かって歯医者は行きたくないところのひとつだった。でも、3年ほど前に「よし!歯をちゃんと直そう!」と決意して横浜まで数ヶ月治療に通っていた。
自分で言うのもなんだがかなり真面目に通った。その時治療中すぐに痛がる私に「弱虫だねぇ」と言いながらしっかり治療してくれた枝川千春先生がこの度渋谷(青山寄り)でめでたく開業された。
それで開業のお祝いを持って定期クリーニングに行ってみた。青山通りの青学の少し手前、スタバのある交差点を六本木通り方面に歩いて3分ほどだ。少し遠くから見ると店構え(店構えはおかしいか、院構えか)はクレープ屋のように可愛い。名前は「BLUE DENTAL CLINIC」というのだが、当然のように私は「なんでBLUEやなくてBLUESにせんかったん?Sつけなあんかんやん」と突っ込んだ。でも、「ブルーズ・デンタル・クリニック」では直りそうにもないか・・。
実は千春先生は黒人音楽好きでニューオリンズで一緒にクラブめぐりをしたこともある。自らキーボードも弾かれる。そして、独身だ。このところすっと痩せてきれいになられたので「いい男でも・・・」と言いそうになったが、治療に影響して痛い目に遇わされるのはイヤなので黙っていた。
今回、私は歯のクリーニングに行ったのだが、その前にデータ作りでレントゲンだけでなく専用のデジカメで前、横、裏と歯の写真を撮られた。金属のヘラみたいなものを頬っぺたの横や口の中に入れるので、その撮られている顔はたぶんとんでもなくブサイクだったと思う。そして、それらをコンピューターに入れ込んでそれを見ながらこれからやる治療の説明を受けるというとてもわかりやすいシステムになっていた。歯医者さんもどんどんデジタル化している。好奇心をそそられたアナログな私はいちいち「これは何なの?」と質問してしまったがウザかったかも知れない。歯をきれいにクリーニングしてもらった後、歯磨きの仕方を教わり今回は痛いことは何もなく帰ってきた。
ちなみに3年前千春先生に治療してもらった歯はすごくしっかりしていて一度も痛くなったことがない。徹底した治療が定評です。私は名歯科医だと思ってます。
歯が痛くなったら、また歯をきれいにしたかったら「BLUE DENTAL CLINIC」へどうぞ。
ほどよい音量でソウル・ミュージックやジャズなどが流れています。
開業、おめでとうございます!
「BLUE DENTAL CLINIC」 東京都渋谷区渋谷2-4-6 サンゼンビル1F tel:03-3407-5841
9月某日「Five Long Years」
  運転免許証の書き換えに行った。僕が免許を持っていないと思っている人の方が多いと思う。実際のところ何年も運転していない。だから免許証には「優良」と書いてある。運転しない最大の理由は酒が好きだからだ。ああ、もうひとつは駐車が苦手だから・・。と言うわけで、いまや運転免許証は自分の身分証明の役割しかない。
親兄弟をはじめ周りの人からは「乗らない方がいい」とか「運転に向いていない」と言われている。自分ではなかなかイケてるドライバーだと思っているのだが。いままで完全に信頼して(?)同乗してくれたのはたったひとり。真夜中のロスアンゼルスのフリーウェイをぶっ飛ばす僕のコルベット(もちろんレンタカー)の助手席に乗っていた山岸潤史だ。彼をレコーディング・スタジオからホテルまで送ったのだが、ラジオから流れるジャズを聴きながらふたりとも窓を開けて「ええ気持ちやなぁ」とまだ夜が開けぬひとときを楽しんだ。でも、いま考えると僕の運転を信頼していたのではなく、彼はレコーディングで頭がいっぱいだけだったのかも知れない。あれはもう何年前のことだろう。
前の免許証の自分の顔写真を見てみる。つまり5年前の自分の顔だ。今回の顔写真と比べてほとんど変化はない。少しは年相応のいい顔になっていると思っていたが・・・・残念だ。
でも、僕の内実はこの5年でずいぶんと変わった。それを書き出すとすごく長くなるので止めるが、ひと言で言うと自分の歩いていける道を見つけたことだ。いや、見つけた気になっているだけかも知れない。いままでもそんなことがあったからだ。でも、たぶん今回は本当の道だと思う。この年になって「自分の歩いていける道」なんて「いままで何やってたんや!?」と自分につっこみたくなる。本当に長い間何やってたんだろう。たくさんの無駄な時間を過ごした気もするが、そのたくさんの無駄がバカな私には必要だったのだろう。
その道を見つけることは自分の力だけではできなかった。閉ざされていた扉を開いてもらったような感じだ。いろんな人の助けをこの5年間もらってきた。感謝している。
次の書き換えまで5年。次はどんな顔写真になっているのか。
5年後もいまの道を黙々と歩いていることを望むばかりだ。

Bluesにはエディ・ボイドというブルーズマンの"Five Long Years"という曲がある。5年間ひとりの女のために働いたというブルーズの名曲です。

以上、免許証の書き換えに行った雨の日に思ったことでした。
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