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8/10(木)池尻大橋 CHAD
  以前は渋谷経由でCHADまで行っていたのだけど、少し前から山下から世田谷線に乗って三軒茶屋から池尻大橋に向っている。満員の井の頭線に乗って渋谷のイライラする雑踏を通るだけで疲れてしまっていたのだが、のんびりした世田谷線に変えてみて身も心もだいぶ楽になった。下高井戸と三軒茶屋の間、約50キロを結ぶ東急世田谷線は2両編成のおもちゃのような電車だ。運転手席のすぐ後横で(小さい頃からいまも運転手席の後に行って運転している様子を見たくなる私はまるで成長していないのだろうか?)スピード・メーターを見ていたら最高に飛ばしても40Kmだった。まあ、実にのんびりした電車で、線路脇の風景も民家の庭が見えたり草花がなびいていたり、小さな踏切があったりと心休まるものだ。途中で環状7号と交差していて、堂々と環状7号の激しい車の流れを信号で止めて進んでいくところなんかはなかなか痛快だ。
とにかくゆったりしたこの列車の風情を世田谷で味わえるので是非みなさんも一度どうぞ!
前回のCHADはKOTEZ骨折手術のためギターの上村君に代役を頼んだのだが、今回はKOTEZ復帰。と言っても全快しているわけではなく、「今日は手の中に入れていたピンを1本抜いてきました」とのことでまだ手は包帯でぐるぐる巻きだ。ハープのトレモロが手で出来ないために例によってコップを使ってトレモロしていたが、なんとも歯がゆい。本人はもっと歯がゆいと思うが9月には全快の見通しだ。夏休みのせいか今日は少しお客さんが少なかったが、その分リラックスして普段やらない"Harry Hippie"や"What Am I Livin' For"など歌った。"Harry Hippie"はボビー・ウーマックの名曲で以前よく歌っていたが、ひとりでギターを弾きながら歌うとウーマックが作った時の感じがよくわかる。"What Am I Livin' For"をライブで歌ったのは初めてかも知れない。「何のためにワタシは生きているのだろう?あなたのためでないとしたら・・・」というこのシンプルな歌を私は家でよく口ずさんでいる。レイ・チャールズやゲイトマウスやいろんな人が歌っているので誰のヴァージョンで覚えたのかも忘れてしまったが・・いい曲だ。
8/6(日)
  朝顔が咲いた。朝、目が覚めてカーテンを開けると白い朝顔が風に揺れていた。はかないことや衰えやすいことを「朝顔の花一時」と言うが、朝顔は夕暮れにはしぼんでしまう。たくさん花をつけてくれるので夕暮れには果てることを忘れがちだが、朝顔ははかない。ベランダの椅子に座ってぼんやり鑑賞する。まだ8時なのにすでに暑さの前ぶれが来ていたので、水やりをしながらひとつひとつの草花を見る。小さな向日葵はもうすぐ咲きそうだ。桔梗にはつぼみがまだあり、また花を咲かせてくれそうだ。むくげの花はほとんど散ってしまった。
この大きくなったむくげはそろそろ大きな鉢に植え換えないと、苦しそうだ。KさんとAさんにプレゼントしたもらった小さな銀杏もしっかり育っている。そしていつも元気なローズマリーやタイムといったハーブたち・・・。
ところで昔ニューオリンズで買ってきた調味料入れが少し汚れていたので、洗剤でひとこすりして洗ったら塗料があっと言う間にハゲてしまった。写真を見てもらうと分かるが黒人だったのに白人になってしまった。ありゃりゃ・・・。
8月某日
  プールへ行った。今夏初めてのプールだ。泳ぎに自信があるわけではないが、50メートルくらいは軽いだろう・・と泳ぎ始めたら息が上がってやっとの思いで50を泳ぎ切った。結局、休みを何回も入れて50メートルを8回ほど泳いでクタクタになった。となりにプールの中をただ歩くだけの"Walking"というコースがあり、ロバート・ジョンソンの"Walking Blues"でも口ずさみながらそこを歩いた方がよかったのかも知れないが、中高年ばかりだったので意地でもそのコースには入りたくなかった。プールサイドに目を閉じて寝そべっていると水の音や子供や女性の嬌声、そして風の音が聞こえてくる。プールは子供の頃を思い出させる。友達とふざけたり、飛び込んだり、もぐったり・・・好きな女の子が来ているとどきどきしたり・・。帰りにはいつもかき氷を食べた。
水の中で仰向けになり夏の空を見ているだけでいい気分だ。2時間ほどしてプールからあがった。かき氷はなかったが、プール帰りのあの「むうっ」とした空気の肌触りだけは子供の頃と同じだった。
7/30(日)名古屋 OTIS20周年記念パーティ
  名古屋のソウル・バー「OTIS」の20周年記念パーティがTOKUZOで開かれた。OTISは20年だが、オーナーの萩原さんはウォーター・ビジネス歴30年以上。かって名古屋のブルーズのメッカだったOpen Houseのオーナーであり(近藤)房之助もTOKUZOのオーナー森田も、石河光也、木下和彦、横山一明・・・この日集まった名古屋のミュージシャンたちはどこかでみんな萩原さんのお世話になってきた。もちろん私も30年近く前からずっとお世話になっている。という訳で、OTISの20周年記念パーティという名目だが、萩原さんの「ウォーター・ビジネス30周年記念パーティ」という意味合いもあった。
ミュージシャンたちは順次ステージに上がり演奏したのはもちろん、昔からの写真のスライド上映(これがとても面白かった)もあった。たくさんの人たちが集い、久しぶりに会った友人、知人と酒を酌み交わし談笑し、本当に和やかないいパーティだった。演奏の最後は萩原さんの「ラブ・ミー・テンダー」だった。しかし、低くマイルドな歌声で1コーラス目に喝采を得たのに、2コーラス目で小節数を間違えて歌に入ってしまった萩原さん。それでも「どえらゃ〜」ウケていました。後日OTISに電話した折に「折角、1コーラス目ええ感じやったのに、2コーラス目でどさくさになった・・あれがマスターの人生を象徴してたなぁ」と、へらず口を叩いた私でした。
ライブハウスだけでなく、音楽を流すバーや喫茶店、クラブはそこに集い飲みながら話すうちにひとつのバンドが生まれたり、ひとつのイベントが始まったりすることもよくある文化の場でもある。誰かが話してくれたことに音楽や書き物のヒントを得ることもあるし、未知のことに興味をもつきっかけとなることもある。かっての「OPEN HOUSE」もその流れで生まれたいまの「TOKUZO」も、そして「OTIS」も酒を飲みながら音楽を聴くという以上の何かを来た人たちに残している。スクリーンに映し出されていた懐かしい写真を見ながら、それをずっしりと感じた。先日、OTISに行った時店の隅にあるジュークボックスでオーティス・ラッシュのシングル盤を聴いた。それはCDでも得られない、LPでも得られないブルーズ・サウンドの最もレアな音だった。
あれを聴くためだけにでもOTISへ行って酒を飲みたいと私は思う。萩原さん、次は25周年パーティ必ずやりましょう!「ラブ・ミー・テンダー」を練習するのに5年もありますよ。
7/29(土)名古屋 CrossRoad 7
  出演:塩次伸二g&vo 木下和彦g 永井“ホトケ”隆vo
CrossRoad 7は名古屋の飛島と呼ばれる地域にある。港に近いこの辺りは工場や倉庫が立ち並んでいて昼間は大型トラックが行き交うが、夜になると車も人もほとんどいなくなる。もちろんコンビニや飲食店など近辺にはない。なんでこんなところにスタジオ(元々ここはスタジオで、時々ライブをやっている)なんぞ作ったのか?ほとんどオーナーの天野氏自身が遊ぶために作ったとしか思えない。しかも道案内の看板どころか、スタジオの看板もないので「なんかわかるようなデカイ看板でも出さないと・・・」と言うと、天野氏は「あんまり知られたくないんだよね・・」と。じゃなんで作ったの・・そうか彼の道楽か・・・。実はこのCrossRoad 7は船で海外などに物を運ぶときに使われる大きなコンテナを組み合わせてできている。天野氏が友達と少しづつ作りあげたものだという。これがなかなかうまく出来ている。内装もすべて自分達でやったそうだ。港の潮風が吹いてくる淋し気な倉庫街にコンテナで作り上げた建物はなかなかワイルドなムードがある。まあ、天野氏本人も見かけはワイルドな感じなので写真を見ていただきたい。
今日は塩次伸二と木下和彦のデュオのライブが決まっていて、それに途中から私が割り込んで入れてもらったような感じだ。デュオで伸ちゃんが歌ったタンパ・レッド(木下のハモりも良かった)がダウンホームでとてもよかった。ギターはいつもながらグイグイいく伸チャンに木下も負けじと頭をふりふりがんばっていた。私もリラックスして楽しませてもらった。アンコ−ルは伸ちゃんの「ジャンボ」で盛り上がった。
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