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4月某日
  読書の冬だった一.二.三月〜「模倣犯」「旅の途中で」「三文役者の死 正伝 殿山泰司」「三島由紀夫とはなにものだったのか」「殉教」「宴のあと」「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」そして「おでんくん」暇があると読書する。乱読ですが。読書はイマジネーションすることが出来るから「妄想癖」の私にぴったりだ。しかし、最近は難解なもの、あまり長篇なものは読み切る気力がなくて避けてきた。それが文庫本で全5巻という宮部みゆきの「模倣犯」(新潮文庫)を読み切った。難しい本ではないが、読み始めた時たぶんこれは途中で挫折するだろうなと思っていたのだが、面白くて興味深くて最後まで読み終えた。犯罪ものの推理小説だが、昨今起きているいろんな社会事件や犯罪をうまくからめて、ただ単に推理小説の面白さというだけではない考えさせられる小説だった。旅することの多い私にとって手頃なのは、エッセイ集のような途中で中断してもまたすぐ再開できるような読み物だ。そんな中でこの冬読んだのは、大好きな高倉健さんの「旅の途中で」(新潮文庫)と健さんと同じように役者の殿山泰司さんのことを監督の新藤兼人さんが書いた「三文役者の死 正伝 殿山泰司」(岩波現代文庫)。後者は寄居のライブでいつもお世話になっている鳥塚君に送ってもらった。健さんは映画で2枚目なように本の内容も2枚目だったが、殿山泰司さんの方は彼が映画で演じていたように3枚目で非常に個性的でそして少しエッチな、でも粋なところのある彼の人生が書かれている。同時にこの本は戦前から戦後の日本の映画史の要素も含んでいるので、高校時代映画研究部だった私にはとても興味深い1册だった。三島由紀夫の没後35年ということで、彼に関連した本がいろいろ本屋に出ていた。
「三島由紀夫とはなにものだったのか」(橋本治著 新潮社)を読んだり、三島の「殉教」「宴のあと」などを再読した。三島の生き方そのものには若い頃ほど関心はなくなったが、書かれた小説は文がとても美しくていまも引込まれてしまう。
いま話題になっているリリー・フランキーの「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(扶桑社)には困った。何が困ったかと言えば、電車の中で、カフェで、ファミレスで・・読んでいてとにかく人中で泣けてしまって困った。少し似たような生き方をしてきた者としては、身につまされる想いが何度もした。そして、大好きな山本周五郎の小説にあるような平凡な、愚直な人間の素晴らしさがここにも描かれていると感じた。リリー・フランキーのものを最初に読んだのは「誰も知らない名言集」だった。そのあと「美女と野球」を読んでおもしろいものを書く人だと思っていたが、こんなに泣かされるものを書かれるとはほんとに意外だった。意外と言えば、彼は「おでんくん」(photo参照)という絵本も書いていて、実は私はいまそれにいちばんハマっていてNHK教育TVでやっているアニメ「おでんくん」もチェックしている。書かれている内容はどこか「東京タワー」ともリンクしていて、この絵本でも私は涙した。
涙腺が年々弱くなっているので、こういう本はまったく困る。
3月某日
  近所の家の庭に白い木蓮が真夜中の月に照らされて妖艶な雰囲気を漂わせていた。そこには赤い椿も咲いていたが、私は妙にその白い木蓮に惹かれてしばらく止まって見入ってしまった。真夜中にすごくきれいな女性を見かけたような気分になったのだ。
そんな夜の次の朝、ベランダに植えたふたつの水仙が咲いていた。中が黄色でそと側の花びらが白い水仙と、中がオレンジ色っぽく外が黄色の水仙。花を種や球根から植えると芽が出てから花を咲かせてくれるまでがいつも長く感じられる。デ−トした時、約束の時間に女性に待たされているようなじれったさだ。尤も私はせっかちなので約束の場所に着くのが早すぎるのだけど・・。そして、以前にもこのDiaryに書いた忘れな草だが、やっぱり咲いてくれないようだ。というより咲くことができないのかも知れない。実は忘れな草の種を蒔いたプランター一面に緑の葉をつけた一群が出てきて、それを私は忘れな草だとずっと思っていたのだがどうも違っていてただの雑草だったようだ。しかし、そう気づいた時にはなにやら白い小さな花を少しつけていて抜くのも可哀想に思えたのでそのままにしておいたら、プランターすべてその雑草になり花もたくさん咲いてしまった。雑草と言えどがんばって小さな花など見せてくれると愛着が湧いてもう抜けなくなってしまった。それで忘れな草は土の中から出て来れない状態なのだろう。まあ、これはこれでいいのでは・・・と思う。こういうこともまま世の中にはある。しかし、この雑草名前がわからない。でも、名前なんてわからなくても別にいい。その雑草に日々水をやっている。
そんな風にベランダにいたら空を見たくなって多摩川へ行った。多摩川へ行くと大きな空が見える。
空や川や海、そして風は人間にとても必要なものだ。大きな空を見ただけで忘れられることもある。大きな海を見ただけで懐かしいことを思い出すこともある。行く途中に桜並木があり自転車を止めると7分咲きくらいなっており、中にはこの日の強風でもう散ってしまった花びらもある。桜はほんとに儚い。あっと言う間に散る。足元に散った花びらたちはその美しさをゆっくり愛でてもらうこともなく散ってしまったようだ。多摩川へ出るとさあ〜っと空が広がる。土手でお花見をしている人たちもいる。
キャッチボールをしている青年たちはにこにこしている。子供が声を上げて走り回っている。犬も走り回っている。鳥も高々と飛んでいる。ここに来るといつも日本は平和でいいと思う。問題はあるが戦争や飢餓はない。しばし目を閉じ、風を感じ、瞑想した。(photo参照)
3/23(木)高円寺 Jirokichi
  出演:The Blues Power(永井“ホトケ”隆vo&g、浅野祥之g、松原秀樹b、沼澤尚dr)
飛び入りゲスト:森俊之 piano

前夜のドームのローリング・ストーンズが頭の中でぐるぐる回っている・・・"ジャンピング・ジャック・フラッシュ!ガス、ガス、ガァス!" キース、カッコイイ!!・・・・。
想えば子供の頃から私はすぐにナリキリ君になる簡単なヤツだった。長島選手が好きな頃は草野球で長島選手のバッティング・フォームをマネし、銭湯の靴箱は絶対に長島選手の背番号と同じ3番と決めていた(他のガキに取られていることが多かったが・・)。長島が引退するとすぐに王選手に気持ちをシフト・チェンジ。一本足打法になった。しかも右利きのくせに無理矢理左バッターとして打席に立った。もちろん打てるわけがない。しかし、大切なのは気持ちだ。ハートだ。ソウルだ。王選手となるべく近いソウルになることが大切なのだ。左手で字を書く練習もしたが、自分でも書いた字が読めなかった。中学でビートルズにハマるとジョン・レノンのナリキリ君になった。高校で髪も伸ばし、ジョンが吸っていた煙草ラークを手に入れた時は深い感慨にふけった。そして、思いっきり吸って気持ち悪くなった。がに股でギターを弾き歌うジョンのマネを鏡に映していた時におふくろに見つかったこともある。こんなおっさんになっても何も変らない、と言うか進歩していない自分が情けなくなることもあるが、ナリキリ君でいると幸せな気分になるのだから仕方がない。前夜は寝るまでキースだった。その余韻が一晩で消えるはずもなく、高揚した気分のままJirokichiのリハーサルに一番乗りとなった。しばらくするとロン(ウッド)ではなくブッチャーがやってきた。前夜のストーンズのことを熱を込めて話したが、観ていないブッチャーの反応は希薄だった。まあ、人間そんなものだ。「ずこく良かった」と言われれば言われるほど「あっ、そう」という気持ちになる。タカチャンも松原の旦那もほぼ同様の反応だった。やっぱ、みんなで観に行かないとダメだ。と言うことで、私は前夜のストーンズを胸の奥にしまい込んで、いざライヴ。いやぁ〜たくさん来ていただき、ありがとうございます。今回はオジもかなりいてかけ声も飛び交い私達メンバーが理想とするムードにより一層近づいた感じです。これで、もう少しみなさんに酒を飲んでもらって、大声でコーラスしていただき、立って踊っていただけるともうすぐそこは桃源郷ですよ、みなさん。まあ、歌っている私はJirokichiであれくらいお客さんが入ると酸欠気味になってくるので、はっきり言って苦しいです。とくにこれから夏が近づくとステージあたりは温度がめちゃ上がり、そして酸欠・・・と私にとっては地獄となります。しかし、地獄にいるホトケを観るのもまた一興かと存じます。もっと広いところでやればいいやないかという意見も聞いていますが、私達メンバーはJirokichiがすごく好きなのです。音も店の感じもスタッフもそして狭いけれど楽しい楽屋も、演奏後に飲めるムードも好きなのです。まあ、2Daysというのも考えていますので、よろしく。
今回は先週の京都拾得に続いてピアノの森(俊之)君が飛び入りで登場。まんまと私の「森俊之ブルーズ洗脳計画」にハマってきたようです。ふふふふふっ。また、コテコテのブルーズが詰まったMDを作って送ってやろう・・ブルーズ・マインド・コントロールだ。
当然ですが、楽しいライヴでした。アンコールが終って楽屋へ戻る時、もっとやりたい、もっと歌いたいと私は思っています。メンバーが作るあの楽しい音の中に、あの気持ちのいいグルーヴの中にずっといたいと思っています。いま、いちばん幸せな時間です。Blues Power、来月のJirokichiは4/15(土)!この時は松原の旦那の都合がつかないので、ホトケ、沼澤、浅野の3ピース・バージョンです。で、"Respect The Stones"のアルバムでレコーディングした"Midnight Rambler"やります!
演奏が終って楽屋で着替えていると、例の松原君に激似の悪徳金融ブローカーが取り立てにやってきました。京都にも来てたような気がするのですが。また、写真撮りましたので見てください。楽屋には来ないでくれと言ってるのですが、困ったもんです。(photo参照)
3/19(日)神戸 James Blues Land
  永井“ホトケ”隆vo&g,森俊樹g 共演:The Soul Shakers
マスターの鈴木さんに前々から「オーティス・レディングなんかをやっているええ感じのソウル・バンドがあるんですよ」と聞かされていて、今回「じゃ、対バンで、最後にセッション・タイムを入れてやってみませんか」と私の方から提案した。「ソウル・シェイカーズ」(photo参照)はヴォーカルが男女ふたり、ドラム、ベースにギター、そしてホーンが7管も入った本格的なソウル・バンドだ。かって80年代の中ごろまではこういう正統派のソウルバンドをライブハウスで時々みかけたが、昨今はとんと見なくなった。大所帯ということもあるが、本当にソウルが好きな人たちが集まらないとなかなかこういうバンドは継続できない。実際、観ていてもほんとにみなさんソウルが好きな感じが出ていて暖かい気持ちになれた。貴重なバンドなのでがんばってやり続けてください。それにしてもデュエットしたソウル・バラード"Something's Wrong With My Baby"のKeyがEbなのはつらかったなぁ・・。リハーサルが終ってから「ソウル・シェイカーズ」のみなさんと近くの居酒屋へ飲みに行った。メンバーが多いということもあるが、ビールのジョッキを飲み終えた後の「ソウル・シェイカーズ」の席には焼酎の一升瓶が出ていた。演奏してないのに「打ち上げか」と、ついつい突っ込んでしまった。聞けば「ソウル・シェイカーズ」には酒の飲めない人は加入できないとのこと。みなさん、演奏前なのに平気な顔してぐひぐひ飲んでいた。逆に終ってからの打ち上げでは、明日は仕事という方もいて早く帰られるメンバーも多く、結局最後(朝4時近く)まで残ったソウル・シェーカーズのメンバーは私が「課長」とあだ名をつけたフリテン君こと西村さんと、内科医の城崎さんでした。もちろん、森君はずっと飲んでました。ソウル・シェーカーズの「部長」さんこと村地さん、次回はゆっくり飲みましょう。ソウル・シェーカーズのみなさん、是非村地さんを「部長」、西村さんを「課長」と呼ぶ習慣をつけましょう!!またいっしょにやりましょう。
3/18(土)大阪南森町 シカゴロック
  永井“ホトケ”隆vo&g,森俊樹g,南角光司b,ベーカー土居dr.
去年シカゴロックへ来た時は、脳幹出血でマスターが倒れて入院した話とそれにまつわるマスターの私生活上の悲しくも笑える話を聞かされて、私はマスターに個人的な「2005年ブルース大賞」を差し上げた。そのマスターの体調を心配していたが、表面的にはあまり変らない様子でいつもながらのふざけた調子でビデオ・カメラを撮っていた。このマスターがビデオ・カメラを撮っていると何故かエロの匂いがする。そして、今日の出演者でもありこの店のブッキングも手伝っているベーカーとマスターがふたり並ぶと、なんとも言えないムードを漂う。2ショットを撮ったのでちょっと見てもらいたい。(photo参照)
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