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1/7(月)仕事始め〜弘前へ
  今年の仕事始めは弘前でFMラジオ番組「Blues Power」の収録だった。写真家の菅原一剛さんと一緒に八戸で新幹線から在来の「青い森鉄道」に乗り換え弘前までざっと5時間。その間飛行機嫌いのふたりは駅弁など食べながら景色を眺め尽きることなく話した。
前回弘前に行った時は地吹雪で雪が嵐のように舞っていたので、今回はニット帽と手袋を用意し靴の中にホカロンを入れて万全の体勢で弘前駅に降り立ったのだが・・・・思ったほど寒くもなくまた雪も少なく肩すかしを食った。
収録は快調に進んでいる。今年になってネット局が8局と増えたのでアルファベットのAからとりあえずよく知られているブルーズマンを紹介してOn Airしていくことにした。まずはAlbert King,Albert Collins・・・・と言った具合だ。私の知っているブルーズ・ミュージックに関するすべてとブルーズへの想いをこの番組に注いでいくのでたくさんの方に聴いてもらいたい。と言っても堅苦しくはないから気軽に聴いて欲しい。
収録が終わってからスポンサーの青南商事の専務たちと夜の街へ。この夜はお寿司屋で一杯やったあと番組で私と隔週で担当している斉藤さんのお店「アサイラム」におじゃました。斉藤さんも「アホ」がつくほどの音楽好きでロックやブルーズの話をしていると終わりがない。
2万8千曲がコンピューターに納めてあり「ホトケさん、なんか聴きたいのある?」と言われたので「じゃ、トム・ウェイツのクロージング・タイムをお願いします」とリクエストした。いい人たちといい音楽とうまい酒・・これ以上何を望むことがあるだろう。幸せな気持ちで少し酔ってホテルに戻った。
翌日は次回アルバムのジャケット写真とプロモーションビデオを撮るためのロケーションをしに青南商事のリサイクル工場を訪れた。菅原さんの腕できっとかっこいいものが撮れるはず。まあ、問題は被写体のblues.the-butcherのメンバー、とくに私かな。乞うご期待だ。
そして、翌日また5時間菅原さんとふたり電車に揺られ東京に戻った。その車中、菅原さんと弘前の土地柄と弘前のみなさんの人柄の素晴らしさを語り合った。私もツアーで日本各地に行ってるが弘前は是非一度旅してもらいたい超お薦めの街だ。
1/3(水)鎌倉へ
  鎌倉に住む写真家の菅原さん宅を訪ねた。ほどよい広さの手入れの行き届いたレトロな素晴らしい一軒家で、家の中を見回して「いいなぁ」を連発してしまった。サンルームも素敵だったが、さるすべりや竹やツツジのある落ち着いたきれいな和風の庭は植物好きの私にはたまらないものだった。おせちとお酒をいただいて菅原さん自慢のオーディオ・セットでアナログのライトニン・ホプキンスを聴かせてもらった。アコースティック・ギターの音が目の前で演奏されているようなリアルないい音だった。そして、ライトニンのやさぐれ声はやっぱり天下一だ。聴きながらあこがれのライトニンへの道はやはり遠いと思った。車で葉山御用邸近くの海にも連れていってもらった。そんなに寒くもなく海も穏やかだった。凧揚げをする子供たちを見ながら海風に吹かれ浜辺を歩く私の気持ちは「健さん」(高倉)になっていたが、湘南ということで加山雄三テイストも少し入ってしまった。こういう浜辺で歌うブルーズってあるのかなぁ・・・・と考えてみたがなかなか思い浮かばなかった。ブルーズの歌詞には時々"Deep Blue Sea"なんていうフレーズがあるけど湘南の清々しいイメージとはちょっと違う。
鎌倉は京都とはまた違うしっとりとしたいい街ですっかり気に入ってしまいました。鎌倉に住むか・・・。カメラマン助手として菅原邸に間借りか・・・。
2008年 1/1(火)元旦
  朝、O.V.ライトを聴いて心を清め近所の八幡神社に参拝しその後ゆっくり散歩をした。空は美しい青。寒いけれど正月は空気がきれいで気持ちがいい。何も予定はないしテレビを観ていてもつまらない番組ばかりなのでDVDを借りて観た。ティム・バートン監督の「ビッグ・フィッシュ」。「バットマン」や「シザーハンズ」とはまったく違うティム・バートンのファンタスティックな映画だった。息子が死に向かっている父の本当の姿を知ろうとする話だが、私も自分の父が本当はどんな人だったのかあまり知らないまま他界されてしまった。私の方も父には本心を打ち明けられなかったが、父の方も打ち解けてくるようなことはなかった。私の時代の父と息子の関係はどこの家も概ねそんな感じだったと思う。父との空気が重苦しい時も多かったが、父親とはそういう距離がある存在だと思っていた。父親に何もかも話すなんてことはできなかった。いや、嘘ばかりついていたような気がする。いま「友達のような親子」と言う人がいるが変に仲の良い親子って私には気持ち悪い。親は親、子は子だ。友達にはなり得ない。また親に反発しない子供っていうのも気持ち悪い。
私の父はナイトクラブに私を連れて飲みに行き、ホステスさんたちに自分の息子だとは紹介せずに「うちの事務員」と紹介していた。私も事務員に成り済ましていた。そんな父だった。そしてそんな息子の私だった。「ビッグ・フィッシュ」はお薦めです。
まずは明けましておめでとうございます!
12/28「今年2007〜来年2008」
  何かに追われているような気持ちでずっと過ごした一年だった。
嬉しいこともあれば悲しいこともあり希望があれば落胆もある。
そんなことはもう何十年も生きてわかっている。
わかっていても自分の心を柔軟に操作することは難しい。
おっさんになっても難しい。

私が望んでいるのはささやかなことだ。
「生きて音楽をやる」というそれだけのことだ。
ああ、あと旨い酒も少し飲ませて欲しいが。

いろんなところに旅をして、歌って弾いて、いろんな人たちと喋り飲み、眠る。
そういう日々が好きだし、そういう日々に沈む気持ちを救われた一年でもあった。

昼下がりにライトニンを聴いてギターを持って「共演」することも夕暮れにサム・クックを口ずさみながら自転車に乗ることも夜にニューオリンズを想い出しながら川沿いを散歩することも夜更けに酔ってT.ボーンを聴くことも好きだ。

神頼みひとつ・・・・来年はあまり悲しいことがないようにお願いします。

今年も年末ジャンボ宝くじを買った。
来年早々ギブソン・レスポール・ゴールドトップをステージで弾いていたら宝くじが当たったと思っていい。

来年もいろんな街にBLUES歌いに行きます。

みなさんの来年が良い一年でありますように!
ありがとう。またライヴで会いましょう。

I wish you a Happy New Year.


hotoke

12月某日
  「ブルース・インターアクションズへ行く/日暮さん、高地くん、お疲れさま」

打ち合わせのために赤坂の「ブルース・インターアクションズ」を訪ねた。いつも乃木坂で地下鉄を降りて赤坂通りを歩いていくのだが、今日は乃木坂に少し早く着いたので前々から行こうと思っていた駅のすぐ近くにある乃木神社を参拝した。乃木神社は明治天皇が崩御したのちに、天皇に忠誠を尽くすため自刃を遂げ殉じた乃木希典将軍と妻静子を祀った神社だ。当時はこの忠誠心に心打たれた人がたくさんいて神社建立に至ったわけだが、ここ赤坂だけでなく日本の各地に乃木神社がいくつかあるところをみるとかなり大きな影響力だったのだ。ここはそんなに大きくはないが美しい神社で横にある乃木邸もきれいにそのまま残されている。しかし、忘れてはいけないのは忠誠心が極度に美化されて、国とか天皇に対する忠誠が戦争への大きな一因になったことだ。忠誠という言葉はひたむきな美しさを感じさせるがひとつ間違うととんでもないことになる。いまはもう誰かに或は何かに忠誠を尽くすなどと言う気持ちはほとんどの日本人からなくなっていると思うが。さて、自分は何かに忠誠を誓ったことがいままであっただろうか・・・と考えながら乃木神社を後にした。「ブルーズに忠誠を尽くしているわけでもないしなぁ・・・・・。夏になるとレゲエもラテンも聴くしなぁ。あかんなぁ・・・ライトニン神社でも建てるくらいの気概を持たな」ブルース・インターアクションズはいまや立派なビルになったが、その創設の頃を思うと隔世の感がある。昔、下北沢の酒屋のビルの二階に会社があった頃は日暮さんと高地君がふたりだけで狭い部屋で黙々と編集やレコードの発送をしていたが、いまは会社に入ると知らない人がたくさんいて「こんにちわ」と何度も頭を下げながらP-Vineレコードの部署まで行く有様だ。実はその創設者のおふたりが最近「ブルース・インターアクションズ」を辞められた。顧問としては残られるそうだが、おふたりがいないブルース・インターアクションズというのは私にはちょっと考えられない。日暮さんと高地君がいままで書籍や音源を通じて、またコンサートの主催してブルーズやアフロ・アメリカン・ミュージックの様々な知識や情報を私たちに与えてくれてきた。それによって私はブルーズという音楽の概観や骨子をつかむことができたからおふたりには本当に感謝している。我が国の何もない荒れ地にブルーズ・フィールドをつくり、そこにたくさんの種を蒔き育ててきた尊敬すべきおふたりだ。自分たちの信じた音楽に忠誠を尽くされて来たとも言える。辞められる理由はいろいろとあるのだろうが、ここはひとまず「お疲れさまでした」。おふたりともまた何か新しいことを始められると思うので楽しみだ。
それで今日もうおふたりは会社にいないと思っていたら、P-Vineの井村君が「今日、確か日暮さんがいらっしゃってますよ」と内線で日暮さんを呼んでくれた。ほんの短い時間だったが久しぶりにお話した。
お元気そうで何よりでした。私は以前もこのHPで書いたことがありますが、日暮さんの文章の熱烈なファンだ。いまもbsr(ブルーズ・アンド・ソウル・レコード誌)が出るとまっさきに読むのは日暮さんの「ブルースは世界だ」のページだ。音楽という耳で聴くものを文字にすることはすごく難しい。しかもほとんどの人があまり知らない音楽のことを的確にしかも興味をもつように書くことは大変だ。最近の若い音楽ライターたちはほとんどが自分の好きな音楽についてひとりよがりだ。それを知っている者たち、共感を持っている者たちだけがわかるように書いているだけで「伝えたい」という気持ちが希薄に思える。また、例えその気持ちがあったとしも文章力のないライターがほとんどだ。中学生の作文程度のものに途中で読むのをやめることも度々ある。つまりふつうの「読み物」としての体をなしてないものがたくさんある。だが、日暮さんの文章はイマジネーションをかき立ててくれて、そのアルバムを手に入れたいと思わせる力がある。例えば、ミシシッピー・デルタ・ブルーズのことを書かれるとその土地に行ってみたいと思ってしまう。そこに行ってそのブルーズを聴きたいと思ってしまう。文章から音楽が聴こえてくるだけではなく、その街の匂いや吹いている風の勢いさえ感じることができる。日暮さんは素晴らしい作家だ。だから、今回会社をお辞めになったことだし、私としては音楽の「いい読み物」をたくさん書いていただきたい。いやこの際、まず自伝でも書いていただこうか。それもブルーズのようにリアルに書いてもらいたい。おふたりともあまり会う機会はありませんが、またぼちぼちと何か始めてください。本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。
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