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2/11(土)大阪NHKホール「木村充揮30周年記念コンサート/継続は力-オカゲサマデ−」
  木村君の30周年を記念するコンサートは2/11、2/12と二日間に渡って行われたが、私は初日の11日に参加させてもらった。多士済々、いろんなジャンルのミュージシャンがこのお祝のコンサートに駆けつけた。Photo Diaryに参加ミュージシャンの写真を載せ、コメントを書いたので御覧ください。
30周年というが、私と木村君が出会ってからは35年くらい経っている。初対面の頃はふたりともガリガリに痩せていた。場所は私や塩次伸二がたむろしていた京都、銀閣寺のロック喫茶「ダム・ハウス」だった。たぶん71年か72年。私と仲のよかった当時の「憂歌団」のマネージャーが、時々ライヴをやっていた「ダム・ハウス」で演奏させてくれないかと頼みにきたのだった。当時「憂歌団」は木村君と内田勘太郎のふたりで、まだバンドではなかった。オリジナルの曲もまだなくてマディ・ウォーターズのカントリー・ブルーズなんかをやっていたが、その初対面の時から木村君の声は個性的で印象に残った。あまり話はしなかったと思う。恥ずかしいというのか、緊張するというのかいまも私は初対面の人とあまり話ができない。たぶんムスッとして感じは悪かったと思う。私はウエストロード・ブルーズバンドをすでにやっていて本拠地が京都、憂歌団は大阪がホーム・グラウンドということもあってそんなによく会っていたわけではない。しかし、その内に関西ブルーズ・ブームとやらがやって来て京大の西部講堂や京都会館のコンサートなどで顔を合わせるようになった。彼等がライヴハウス「拾得」でやる時に観に行ったことも何回かある。でも、一番の想い出は西部講堂でやったウエストロードと憂歌団の2バンドだけのコンサートだ。その日は満杯になったお客さんのちょうど半分ずつウエストと憂歌のファンの人たちが来ていた。最初、憂歌が先に出て演奏していたのだが、その途中でウエストのファンが「おもろないなぁ」とかヤジを飛ばしたのをきっかけに憂歌のファンとファン同士でケンカが始まった。主催者が仲裁に入り何とか収まって憂歌の演奏はなんとか終ったのだが、その後に出た私達ウエストに今度は憂歌のファンからヤジが飛ばされた。そのヤジを言った客に「前へ出て来い!」と当時ケンカ早かった私が言ったところ、場内は騒然となり客席からビールびんや空き缶がステージに飛んできた。塩次や山岸、小堀は楽器を抱えてステージ・サイドに避難。私はそのヤジった客をマイク・スタンドで殴ってしまった。それがまた火に油を注ぐことになり、ファン同士のケンカはエスカレート!もう会場はめちゃくちゃな騒乱状態となりコンサートは中止となった。私は主催者に「ホトケがおると余計に騒ぎになるから・・」と言われ、車に乗せられ他の場所に移動させられる羽目となった。念のために言っておくとウエストと憂歌のメンバー同士が仲が悪いわけではなかった。
いま振り返るとひどい話だと思う。ケンカ早かった私も私だ。しかし、あの当時はステージだけでなく客席にも行き場のないエネルギーがあふれていた。そして客はただ聴く側ではなく、もっと主体的にコンサート、ライヴに参加する存在だった。だから、面白くないと思えば面白くないと言う客もいたし、裸になって踊る客もいた。ヒップだった。客とミュージシャンのふたつのエネルギーが完全に結びついた時にうまれる会場全体のグルーヴは、いまのコンサートである程度予定調和的に作られるグルーヴとは違うもっと強力なパンキッシュなものだった。そして自然発生したものだった。まあ、いまみたいにガードマンなんてウザッたい者もおらんかったし・・ね。でも、ああいう自然に生まれるミュージシャンと客のパワフルな、ある種破壊的なグルーヴを私は望んでいる。
木村君なんかと会うとやっぱりそういう時代の匂いを思い出す。だからNHKホールというちょっとお堅い場所でしたが、持ってでたウィスキーフラスコで彼に一口勧めたのでした。すると思いのほかたくさん飲んだ木村君に逆に驚いた私でした。コンサートは木村君のソロからはじまり最後ストリングスをバックに再び木村君がソロで歌ったアンコールまで、休憩を挟みなかなかの長丁場でしたがゲストはみんなそれぞれの芸風を披露してお客さんは楽しかったと思う。私が歌ったのは房之助(近藤)から引き継いだシャッフルで"The Blues Is Alright"そして"Mannish Boy"そして木村君の曲「嫌んなった」を彼とデュエットした。「嫌んなった」の「陽の目をみるかもこの俺だって〜」という1節はほんとうにいい。ブルーズだ。
これからも木村君はずっと歌っていくだろうし、私も歌っていく、他のゲストのみんなもずっとやっていくのだろう。30周年はちょっとした通過点。今回はそのお祭りだった。でも、木村君がそのお祭りをやってくれたおかげで長い間会わなかった旧友たちにも、めったに会わない素晴らしいミュージシャンたちにも、そして懐かしいスタッフの人たちにも会えた。木村君のお祝のコンサートだったけど、木村君はみんなを集めて「これからもぼちぼちがんばりましょう!」と言いたかったのかも知れない。
でも、改めて「おめでとうさんでした!木村!」。ああ、演奏後の大打ち上げ宴会も楽しかった。
2006/2/4 横須賀秋谷 空屋
  The Blues Power(永井“ホトケ”隆vo&g,浅野祥之g,松原秀樹b,沼澤尚dr)、森俊之key,SAKURA vo,Brenda Vaughn vo.
浅野君の車に同乗させてもらい、川崎方面からトンネルをいくつかくぐって134号に出ると一挙に空と海が広がった。そして、弓なりになった海岸線の遠く向こうを見ると雪を被った富士山がくっきりと見えていた。以前「空屋」に来た時は天気が悪かったが、今日は少し雲があるけれど晴れて気持ちがいい。たぶん今日の夕暮れには沼澤君が前から言ってた「空屋の夕陽」が見えるだろう。ただ、すごく寒い。しかし、空屋に着いてみんなと会っても「寒い、寒い」と言っているのは私だけで、みんなベランダに出てタバコなんか吸って話している。特に寒いのが大好きな沼澤君はニコニコと御機嫌だ。私ひとり「ストーブに火つけようよ」なんて言っている。
今日はキーボードの森俊之君と初めて一緒にプレイできるのをすごく楽しみにしてきた。森君のプレイはBig Horns Beeのライヴやいろんなアルバムで聴いていて、すごく才能のある人だと思っている。ライヴはSAKURAさんとSAKURAさんの友達のBrenda Vaughnさんの歌から始まった。ふたりとも本当に素晴らしい、コーラスもばっちりな歌を聴かせてくれた。もちろん沼澤くんはじめメンバーの出すサウンドもビートも気持ちいい。そして、その気持ちのいい音の中、後に見える海の向こうに燃えるような夕陽が沈んでいった(photo参照)。その夕陽を見て酒を飲みながらSAKURAさんとブレンダさんの歌を聴いているうちに、もう私が出て歌わなくてもいいのではないか・・と思い始めた。来てくださったみなさんも私ももう充分気持ちよくなっているから、あとはみんなでワイワイと話しながら飲むだけでいいのでは・・・。そんなことを浅野君に言うと「ダメですよ」と怒られてしまった。私がひとりで歌うサム・クックの"Lost &Lookin'"から始まったBlues Powerの演奏は、途中から森君にも入ってもらい、ブレンダさんがアレサ・フランクリンの"Dr.Feel Good"を、そしてSAKURAさんがルース・ブラウンの"5-10-15Hours"をやってくれた。「空屋」の空間は靴を脱いで座るスペースやら、ソファや椅子もあれば立って聴くこともできるし、寒くなければベランダでもいい。その自由な感覚が演奏する側にも聴く側にもすごく楽な気分を与えてくれる。近くに住んでいれば気軽に飲みに立ち寄りたい店だ。まだ行ったことのないみなさんも行ってみてください。ドライヴの途中に立ち寄るのもいいかも知れない。広い海や空を見ることはとても大切です。また、呼んでください!空屋のみなさん。ありがとう。帰りはいい気分に酔って、しらふのバンマス浅野君に家まで送ってもらいました。
Photo Diaryにいくつか写真もアップしたので見てください。また、いつも来てくれるカメラマン岡村直昭君の素晴らしい写真もアップされているのでそちらも御覧ください。
http://smashingmag.com/
http://magazine.sakura.ne.jp/tour/06tr/060204sakura_naoaki.html
http://magazine.sakura.ne.jp/tour/06tr/060204bluespower_naoaki1.html
2006/1/25 高円寺Jirokichi
  The Blues Power(永井“ホトケ”隆vo&g,浅野祥之g,松原秀樹b,沼澤尚dr)
飛び入りゲスト:ムッシュかまやつvo&g.KOTEZ bluesharp
数日前にバンマス浅野君の御実家で御不幸があり、今日は出演できないことが前からわかっていた。BPはバンドであり、しかもバンマスであり要の浅野君が出演できないのであればライブを中止しょうか・・・と最初考えた。浅野君のギターがないとサウンド的にも貧弱になるし、私ひとりのギターでは・・・と弱気にもなった。しかし、沼澤君とその件についてメールのやり取りをするうちに、沼澤君から「特別な状況だけど、(ギターを)ホトケさんひとりでやることは大切なことだし、きっと何か発見があるだろうと思う。」というとてもポジティヴなメールをもらって考えた。そうだな・・ここで逃げちゃだめだな。何か違う面白いことが生まれるかも知れないし・・とにかくやってみよう!と気持ちを入れ替えた。浅野君も中止するよりライヴをやることを望んでくれるだろうという想いもあったし、何よりも寒風の中来てくれるお客さんたちのことを考えるとやはりやるべき!と決断した。そして、前日になって前からBPとやってみたいと言っていたハーモニカのKOTEZ君を何曲か入れてやろうということになった。そしたら当日になってムッシュ(かまやつさん)が聴きに来てくださるというので、それなら「是非ギターを持ってきてください」と沼澤君にメールしてもらった。最初に私がひとりでギターを弾いて歌い、続いて沼澤君のドラムと私のギターだけのデュオ(これがなんか面白かった)をやり、そこに松原君に入ってもらって何曲かやって1部を終り・・・と思っていたら、スルスルと楽屋からムッシュが出てきた。私としては2部の盛り上がったところでムッシュを呼び込もうと思っていたが、ムッシュはもう待切れなかったらしい。いかにもムッシュらしい登場だった。2部はKOTEZも入っていつものファンキーなハープを吹いてくれて、とても楽しかった。中止しなくてほんとに良かった。浅野君のいない部分のサウンドはとてもとても私ひとりで埋めることはできないけど、すき間だらけの音の中にも私達のブルーズは濃厚な固まりとなって存在していたと思う。もっとギターの練習もしなくてはいけないけど、自分がブルーズで何を表現したいのかということを再確認できたし、その新たな方法をほんの少しだが、見つけることができたように思う。2月21日のJirokichiでは浅野君も戻ってくるし、新しい曲もやるので是非Blues Powerの濃いブルーズの放射を浴びに来てください。
1/16(月)〜1/23(月)
  正月に帰らなかったので伊勢の実家に帰り墓参りをした。年に2回ほど墓参りをしいるのだが、いつもひとつ疑問がある。それは墓の周りをきれいに掃除して花をたむけて線香を供えるところまではわかる。そして、最後に墓に水を掛けるのだが、お盆などの夏場の暑い日ならわかるが寒風が吹く中、冷たい水を掛けられては仏様も寒いだろうといつも思う。それで以前おふくろに「親父の好きだった酒を燗してかけてやったらどう?」と言ったら、たった一言「あほ」と言われたことがある。私だったら焼酎のお湯割りでも掛けてもらいたいなぁ。
1/ 18から22までの5連チャンは塩次伸二g,妹尾隆一郎vo&harpと三人の"WE THREE KINGS"(別称-ブルーズ3馬鹿)でのツアーだった。ただ21日に塩次選手がまさかのダブル・ブッキング!ツアーに出る前に発覚したので21日は地元名古屋の塩次派ギタリスト、木下和彦にピンチヒッターを頼んだ。
さて、初日の18日京都 MOJO WESTには約30年振りになる懐かしい人たちが来てくれて、嬉しい再会をした。そして、彼等とたむろしていた銀閣寺のロック喫茶「ダムハウス」のことが一挙にフラッシュ・バックしてきた。また、この日はライヴで珍しいものをステージで使うこととなった。音響を研究されている浜田さんという方が開発されたAE-Sという木製の音響アクセサリーだ。それをアンプの下に置くと音の抜けが良くなり、音の輪郭もくっきりするという。写真を載せてみたので見てもらいたい(photo-2&3参照)。ずっと使っている塩次先生によると、たくさんギタリストがステージに登場した時など自分の音が明確に抜けて聞こえるという。私も使わせてもらったが、私は音響よりも演奏に精一杯(まあ、いつものことだが・・・)で実際にどれくらい音が良くなるのかというところまで気が回らなかった。興味のある方こちらに御連絡ください 075-467-3454(音響研究所 ISSIN)
お客さんもたくさん来ていただいて盛り上がり感謝しています。Thank You SweetHome Kyoto!
20日(金)の 名古屋ガウチョ は天白区の平針という辺りにあるのだが、この店・・看板がない。表から見ると瀟洒な洋館で、中に入ってみるとこれがまた木造で天井も高くて素晴らしい。だが、看板がない。
そのせいか、少しお客さんは少なかったがホームパーティのように楽しく盛り上がった。始まる前に近くの食堂にみんなでメシを食べに行ったが、妹尾君の話は「あれ、そうあれあれ」「あいつ、あいつやがな」という思い出せないことの連発で、私が何度か助け船を出して代わりに思い出してあげた。中でも「70年代、歌手、ロマン」という妹尾君の思い出せるキーワード3つだけで「あがた森魚」を導き出した私は偉い(?)と思う。この日は明日、塩次の代打をやってくれる木下が観にきてくれたので塩次&木下の2ショットを撮ってみたら(photo-4参照)、これが何かに似ていると気になり出した。そう!このバディ・ガイとジュニア・ウエルズのジャケ写だった(photo-5参照)。何かホモ的にムード漂う感じが似ている(ホモちゃうけどね)。打ち上げの真夜中に台湾料理屋でテーブルに並んで豚足を食いまくる塩次、木下を唖然として見ながら(体型が似てきているふたり・・・)、青菜炒めを食べる私だった。
翌21日はCrossRoad 7。ここがまたとんでもない場所にあることは前もこのHPで書いたが、まあ昔の日活映画の小林旭主演のギャング映画で出てくるような波止場の倉庫街 だ。近辺に店は一軒もない。なんでこんなところにライヴハウスヲ作ったのか・・・と思うような場所だ。しかもここも看板がない。オーナーの天野さん曰く「ここにたどり着いたら天国。たどり着けなかったら地獄。でも、絶対行きたいと思うヤツはここにたどり着くはずだ!」。確かに面白い場所で近隣に家がないので遅くまでガンガン音が出せるという利点もある。私はここのヤサグレたムードが大好きだ。これこそホントの「大人の隠れ家」(まあ、別に隠れているわけじゃないけど・・・)。この日、木下は本当に良くやってくれてたどり着いた人たちもみんな満足してくれたと思う。しかし、客席一番前で一番盛り上がってノッていたのはオーナーの天野さんだった。再び天野さん曰く「だって自分が好きで呼んでいるミュージシャンの演奏を自分が楽しまなきゃ!(逆に言うと好きじゃないヤツは呼ばないということ)」。各ライブハウスのオーナー及びマスター殿、この天野さんの言葉、肝に命じるべし!興味のある方、是非CrossRoad 7を探してください。住所は愛知県海部郡飛島村金岡31 なお店に電話はない!天野さんの携帯が店の電話代わりだ090-3550-4896(天野)
22日、ツアー最終日は伊賀上野の「オールド・レッド・ミル 」だ。「忍者の郷」伊賀上野はただならぬ寒さだった。しかも交通の便は悪い。なんせ忍者の郷だから・・。名古屋から近鉄で中川で降り、乗り換えて伊賀神戸へ。そして再び乗り換えてこんどは単線の2両編成に乗って20分ほど。ただこの単線の本数がめちゃ少なく、私と妹尾君はドアが開いたままの寒い列車で15分ほど発車を待った。しかも、この列車にはこのような絵が描かれている(photo-6参照)。何かなぁ?と思って横に回ったら(photo-7参照)わかった!忍者だ。ひょっとして「くノ一」か?この忍者列車から眺める伊賀の山に囲まれた風景はなかなか趣きがあった。変な看板もほとんどなく落ち着いたいい眺めだった。落ち着いたと言えば伊賀の街も美しい風情のある素晴らしいところだ。平成16年に上野市と伊賀町、島ヶ原村、阿山町、大山田村、青山町の伊賀地区6市町村が合併して伊賀市になったという。私は三重県生まれなのにこの辺りのことには本当に無知で恥ずかしい。「オールド・レッド・ミル 」(photo-8参照)に来たのは3回目か?本来、この店はレストランでめちゃ料理が旨い。最近はワインに力を入れているそうでお客さんたちもワインを飲んでいる人が多かった。みんなほどよく酔っぱらって(と言っても塩次、妹尾両KINGは下戸だが・・)楽しいライヴだった。打ち上げで出された料理はどれも絶品でした。ごちそうさまでした。私は伊賀のホテルに泊まったが、妹尾、塩次は雪がちらつく中京都へ車で帰った。お疲れさま。ふたりのブルーズ・プレイはほんとに名人芸だ。一緒にプレイできて光栄だ。ああ、それから、妹尾君!思い出せないことはあきらめないで、なるべく思い出しましょう!身体も大切にしてね。
1/23(月)やっと東京へ戻れる。名古屋からは天気も良くなり新幹線からこんなきれいな富士が!(photo-9参照)気がついたらいつからかわからないがツアーの途中で風邪が直っていた。やっぱり旅せんとあかんな。
みなさん、今年もよろしく!
1/15(日)和歌山 OLD TIME
  永井“ホトケ”隆vo&g,田中晴之g
大阪駅で晴ちゃん(田中晴之)と待ち合わせて一緒に和歌山行きの電車に乗った。晴ちゃんと知り合ってもう30年近くなるが、こうして一緒に旅をするのは初めてだ。晴ちゃんのことを少し紹介しょう。彼は30年近く前に京都で「ファッツ・ボトル・ブルース・バンド」というブルースバンドを組んでいた。「ファッツ・ボトル」は私達「ウエストロード・ブルースバンド」のメンバーより少し年令も下で、デビューしたのも少し後だったことから私達の弟バンドのような感じだった。私の銀閣寺のアパートに度々メンバーが訪ねてきたり、個人的なつきあいもよくした。だが、ブルース・ブームが終りかけた70年中頃に「ファッツ・ボトル」が解散し、ちょうどその頃から私が居を東京に移したこともあり、晴ちゃんとは少し疎遠になった。それでも京都へ演奏に行くとよく観に来てくれていた。いつも会うとニコニコと素敵な笑顔でいる彼に気持ちが和む。ほんとに優しい人だ。その性格の通り、そして体型同様に(?)ギター・プレイも音質もまるい。アグレッシヴなプレイをしていてもどこかにその優しさ、丸さを感じる。デュオでやるのはこれが2回目だった。
私が言うのも失礼だが「うまくなったなぁ」と実感した。前よりも余裕もあるし、でも余計なことはしなくて、音量も音質もとてもほど良く楽に歌えた。演奏が終ってOLD TIMEで飲んだ後もまだ少し飲み足らず、ホテルの私の部屋でふたりでビールを飲んで話をした。彼はいま塩次伸二のバンド"SSB"のメンバーであり、ジョー山中さんのバックなどもやっているが、いつか彼自身のバンドを聴いてみたいと希望を出しておいた。晴ちゃん、ゆっくりとしんどくならないようにがんばってください。また、一緒にやりましょう。
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